「アンカー」を意識しつつSNSとどう向き合うか
おはようございます。
1泊の職員旅行では、キャンプしながら新年度のことを語り合うというもはや「合宿」と言う方がふさわしいと思っているヒミツキチ森学園のあおです。
#先日もグループリーダー同士で1日7時間対話
さて、今日は年度初めとなるため、堅っ苦しい仕事の話は抜きにして、最近のボクのSNSへの向き合い方なんてものをシェアさせてもらえたらと思っています。
年度はじめの忙しい時期ですので、軽い気持ちで呼んでもらえたら。
ブログはnoteは何を書こうか
AIによって文章まで作れてしまうこの時代に、ブログのようなものは意味をなすのだろうか。
最近のブログでは、依頼されているもの以外は書かないような傾向があるのだが、ちょっとここらでまとめておくと良さそうだ。
キングコングの西野さんは、AIによって生み出せないものを「アンカー」と呼んでいる。
一生懸命描いていたものが、生成AIによって生まれる事実を目の当たりにしたイラストレーターさんや、ブロガーさんにとって、解かなくてはいけない課題が、「AIで作れないものはなんだ?」ということ。
「先生はフィジカル的(教えることには身体も使ったりするので)な部分もあるから、AIは無視しててもいいよね。」
と言うのはあまりに早計で、
「小学校3年生の子がかけ算の筆算でつまづいている場合の適切な声掛けと、必要な問題を10問作成して!」
とChatGPTに言えば、1分かからずにそれができてしまうのだ。
容易に取って代わられる未来が見えてくる。
先生×AIはまたちょっと先の未来で話そうと思う。
さて、ブロガーなどの執筆者にとってアンカーになる「生成AIにできないこと」はなんだろうか。
感じているのは、AIも書くことはいくらでもできるが、自分が経験したことを高濃度で表出させることは、難しいということ。
「時間のかかる経験」はAIにはできないのだ。
ボクが初任の時に苦しみながら5年間で一人前になろうと努力した日々
初任の時に残業が月150時間を超えてぶっ倒れそうになった時に、どうやって立ち直ったか。
一から学校を作るときに、何をやって何をやらなかったのか
こういった「経験」は人間にしかできないし、アンカーとなりうるのだろう。
さらには、身体で掴む「感覚」というのもアンカーになる。
人と人との対話や、先生が感じる教室の空気感・流れは、AIには表現できない。
ボクが足を使って旅してみてきた学校の見学記も、本当にそうだろう。これはAIには作れないものだ。
だから、ボクはアンカーとなりうる情報のみ、ブログに表現していけるようにしたいのだ。
本もアンカーとなりうるみたいだ
ボクは今2冊目の本を発売している。
やっぱり、本というのものは、すごくいい。
1冊目を書いたときも感じたのだが、本という手触りのあるものが生み出せていること自体が嬉しい。
教育は、子どもとの日々の活動で成り立っていく。そこには手触りがあることもあるが、基本的には手触りがないものが多いのではないのだろうか。
子どもたちと過ごした楽しい日々も、
一緒に涙した運動会での悔しい時間も、
最後の日に、またいつかと別れた3月の教室の空気も、
ものとしては表現できない。
だからこそ、ずっと残る「思い出の手触り」を本として残せるのは幸せなのだ。
また、本が本来持つ、「読む」という機能に加え、意味を変えて、人と人とを繋げてくれるものになる。
この本がきっかけで、先日は10年前に仕事をしていた仲間と再会できた。
なんなら30年ぶりの再会もこの2年で3、4回果たしている。本が繋いでくれたご縁だろう。
また講演などを開くと、よく本を買って帰ってくれる優しい人がいる。本が「お土産」として機能しているのだ。
AIにも作れるのかもしれないけれど、長く読み継がれていく、もしくは一人の人がずっと本棚に並べてくれる「時間」は、AIでは作れない。
SNSとの適切な距離は…
さて、ではTwitter、Instagram、Facebookなどとはどう付き合っていけばいいだろうか。
なりすましなんてものもAIを機に、頻繁に起こるだろう。
最近見たTVドラマ「相棒」では、主人公の右京さんにAIがなりすまし、会見をしていた。
こういう未来もやってくるのが目に見えている。
ボクはSNSの時間を極力割かないようにしている。いかにSNSをやらないかに時間を割いている、とも言える。
Instagramは、書くこと(note)と読むこと(ブクログ)の成果を、ChatGPTに投げると、自動で投稿文が作れるようにしてもらっている。だから7分ぐらいで投稿が終わるのだ。
自分が稼働しなくても、Instagramはずっと回っていく。
フォロワーはじわじわと増えているけど、劇的じゃない。
でも、それでいい。
Twitterも同様。
Facebookは割と楽しみながら、近況報告や予告をしている。Facebookは、メッセージなしではほとんど承認していなく、どんな繋がりがあるかを必ず明記してもらっている。ちゃんと繋がった人しか、ボクの投稿を見ていないので、信頼をおいている。
以前SNSはコミュニケーションの入り口だという話をしたが、これは変わっていない。入り口は開けておく必要があるので更新しないわけにはいかないのだが、ここに時間を割くのは得策じゃない。
ボクは常に、読んで、書いて、話して考えていく時間を確保したい。
そうやって日々のこと、他者の考えを自分の中に響かせながら、考えている時間が、新しいもの、価値があるものを生み出しているのをわかっているのだ。
その時間を確保するために、それ以外のことに時間をかけないようにしている。
ボクのSNSに触れている時間は1日の中で1時間もない。
そう、こうやってSNSとの距離をとるときに、AIは役立ってくれるのだ。
これって面白いよなぁと思う。
AIじゃ生み出せないものを生み出す時間を大事にしながら、どうでもいいことにはAIを活用している。
ただ、こうやって自分自身の中でどうAIを使っていくのかが、今後50年の大きな分かれ道になると思うのだ。
皆さんも、ぜひ考え抜いてほしい。
今日も読んでいただきありがとうございました。
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