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感情労働と演技するということ(ミニコラム)

世の中にはきっと色々な仕事の種類があるんだと思う。
ブルーとか、ホワイトなんていう二分法もあると思うのだけれども、何かを活用して賃金を得る。そういうことだと思う。

では、何を活用することで賃金を得るのか、少しばかり挙げてみる。
一つ目は時間をコストにすることだろう、いわゆる時給だ。
二つ目は成果を基にお金をもらうことだろう、いわゆる成果だ。

つまり、成果でお金をもらうということは能力給と表現してもいいのだろうか。
では、その能力とはどのようなものがあるのか。
一つ目は肉体労働だろう。体を動かすことで労働力を提供する。
二つ目は頭脳労働だろう。机に座ったりして、データを処理することで労働力を提供する。
そして、三つ目は感情労働だろう。人とコミュニケーションをすることで労働力を提供する。

この4分類は何の学問的根拠もない、ただの感想なので合っているかいないかは置いておくことにする。
さて、時間・肉体・頭脳・感情という四要素を使って、大概の場合は賃金を得ていると考える。
これはもちろん、それぞれの要素がオールオアナッシングというわけではないだろう。
今この場で、組み合わせの数を求められるほど、僕は数学力に長けていないので考えないことにするが、いくつかのパターンがあると思う。

例えば、時間給で肉体労働のケースもあるだろうし、能力給で頭脳のケースもあるだろうし。
残業代を貰ってる人や、いわゆる8時間勤務をしている人は時間給の要素があるはずなので、純粋な能力給でお金をもらっている人は少ないとは思うのだけれども。
つまり、こんなくどくどと分かり切ったことを言語化するのは、「感情労働」について書くための前置きだということだ。

『アクタージュ』という過去に連載していた漫画がある。
この作品の終わり方について、明文化することは判断を保留することにして(今はその時ではない)、この作品について触れる。
『アクタージュ』という漫画は、アクター(役者)について描かれた作品である。
この作品の主人公は、メソッド演技という技法を用いて、まるで本当かのような演技を行う。
僕は演技法については全くの無知であるので、このメソッド演技というものの是非は判断しかねる。
しかし、主人公は過去の経験を想起することによって、感情を意図的に創って、体全体をその状態にするのだ。
つまり、「泣く演技」というのはただ涙を流すことではなく、心と体も涙を流している時の感情になって、涙がこぼれるのだ。
それは、笑うこと・怒ることなどにおいても同様であろう。

ジム・レーヤ著『メンタル・タフネス』にも理想的な心理状態になるために「演技をするスキル」が必要であると言っている。
詳細は本を読んでもらうとして、ざっくりと書くが、「演技をするとは、常にその場にあった感情へ調整する」ことだ。
これは僕たちの日常生活においても、その困難さの上下はあっても、常に潜んでいる。

例えば、自分がどんな心理状態であっても、カウンセラーは自分が果たすべき役割に沿った感情と行動であることが好ましい。
教員はどんな時でも無暗に怒ったり、落ち込んだりするように、堂々と明朗で穏やかでいる方が好ましい。
そして、感情をコントロールできない教員から生徒は離れていく。これは教員に限ったことではないのだけれども。

つまり、「感情労働」とは、一般的には自分がどんな心理状況であっても、笑顔で接することが求められる仕事だと言われている。
そのため、「笑顔でいること」になりよりの価値があるということだ。
しかし、笑顔でいると聞けば簡単そうに見えるが、実際にそれをするのはとても難しい。
感情労働の仕事のはずなのに、仏頂面の人間や、怒りや不安に身を任している人間のなんて多いことか。

例えば、肉体労働において筋肉量が多いとか、体が健康であることは、労働に優位に働くだろう。
同様に頭脳労働において、情報の処理能力が高いとか、専門的な知識があることは、労働に優位に働く。
そのため、同様に感情労働において、演技ができる能力が高いことは、労働に優位に働くのではないだろうか。

私は認知症の方の介護をして賃金をもらっている。
私は仕事をする前に5分ほど瞑想をしてから、仕事を始める。
その際に常に問いかけていることは、「仕事とは暇つぶしであること」「その暇つぶしの仕事において、私は優しい人間で居続けられること」だ。
「暇つぶし」と表現すると聞こえが悪いが、これは心理的な安全性を担保するための言い聞かせである。
つまり、仕事の中で起こることは、仕事以外の私の人格に影響し得ないと言い聞かせるのだ。
そうすることで、仕事のオンオフを明確に体に沁み込ませることができる。
そして、私は仕事中常に穏やかで優しい人間であり続けることで、自己が欲しいものを仕事で手に入れるのだ。
余談だが、優しくて穏やかな自己を維持できなかったり、優しくて穏やかな自己になりたくないと思ったら、さっさと仕事を辞めると決めている。

私はそういうマインドセットを行ってから仕事をする。
そして、仕事中は基本的にそういうマインドセットを維持できる。
しかし、緊急事態であったり、感情を乱されるような事象が起こることもある。
そういう時に、優先してすべきは「平常心を保つ」ことだと言い聞かせているので、まずはそのことだけを考えるようにしている。
そして、その判断基準が一番適していると考える。

平常心を保つには、自分がコントロールできるものだけに集中すること、自分を安全なイメージに帰属させることが大切だと思う。
自分がコントロールできる最小単位とは何か。それは呼吸である。
心拍数も自律神経もコントロールできないが、呼吸の深さとスピードはいつだってコントロールが可能である。
4秒吸って、8秒吐く。吐く時間を長くすることが、副交感神経を優位にする呼吸法らしい。
その呼吸を愚直に10回カウントしながら行い続ける。
頭の中の不明瞭な思念を「呼吸をする」というタスクで置き換えるイメージだ。
その呼吸の上に、自分に問いかけ続ける。
「君は今、これほどもないぐらい落ち着いている」
「君は、10回呼吸を終えたら、まさに穏やかそのものだろう」
「君は常に物事に対処できる」
「君はいつだってクールでタフだ」
言葉のバリエーションはある程度あるのだけれども、たいていは穏やかでいることと冷静でいることを徹底的に求めていく。
それでも足りない時は、過去で一番穏やかだった時はいつかを振り返って、その時の感覚を五感で味わうかのように回顧していく。
過去の経験を、現在に追体験するような感覚だ。

その上で、自分がこうありたい理想像を、意識する。
つまり、いつも設定しているメンターを呼び覚ますことだ。
そうすることによって、自分がどんな状況にあっても、自分がどのような振る舞いをすべきなのかを判断することができる。
なぜなら、メンターを設定したときは、冷静で理性的に判断をしているはずだからだ。



俺はこういうことを常に練習しているから、今日誰かが亡くなったとしても、俺はいつだってクールで義務に適うことを行うことができる。
かといってもこれは仕事なので、いつだって終わりがあるのだ。
つまり、仕事とは暇つぶしだということだ。


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