津村節子著 紅色のあじさい(鳥影社刊)感想

「海の壁 三陸沿岸大津波」や「戦艦武蔵」が印象に残っている吉村昭が気になって、「季刊文科」に載せた津村節子のエッセイ自薦集を手に取った。吉村昭没後16年経っての刊行で、エッセイの多くに吉村のことが記されている。さすがに読みやすい。
生活の中の一場面を取り出して、面白さを書き連ねるのだが、読者がだんだんに興味をそそられて、その後はどうなったかが気になったところで、ポツンと終わるという調子の作品がけっこう多い。本人がすでに94歳という高齢な訳であるが、やはり高齢でも矍鑠としていた野上弥生子や瀬戸内寂聴を敬愛する。
井の頭公園の近くに居を構えたことから、公園や公園近傍のことが何度か登場する。不動産屋で紹介されて、ご自分が即決したことがご自慢のようだ。そして、まちや建築についても気になっておられるようだ。庭のあじさいをテーマに、吉村のことを思い返している「紅色のあじさい」が本書のタイトルにもなっている。
学生時代を送った目白の街について語る。「都市の建物の高さの規制はどうなっているのであろうか。この緑多き住宅地に、百メートル二十八階建の、店舗、事務所、住宅などがはいるビルが建つというのである。アメリカも空襲を控えたという歴史のある京都に、珍妙なタワーや、古都の景観を損なう高層建築が建てられている。私は海外旅行はあまりしていないが、由緒ある街で乱開発しているような情景にはぶつからなかった。」(p.120)目白の環境を守るという友人へのエールである。
生い立ちについても自然と触れることになる。福井から東京に出てきて、吉村昭に出会い、作家を志す。同時に吉村の力量と可能性を信じた津村節子は、先に賞を取り作家のめどがついたことから、夫にサラリーマンを辞めさせて作家に専念させた。お互いの作品は読まないようにしたというが、お互いの存在は大きな支えになったのであろう。同じ女流作家でも、寂聴とはずいぶんと違う人生を歩んでいる。
身近な人間の死は、人との出会い、人の生きること、病を得ること、命の終わり方、などを考えさせる。津村節子という人は、行動力も生活力のある人なのだ。夫を亡くして、その思い出をさまざまに語り、これからも自然体で、元気に発言しそうな感じであるのは、すばらしいことだ。

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