岩波文庫「俳句への道」(高浜虚子著)雑感

母の遺品に俳句関連の資料がいくつかあった。その中の1つが、これ、1984年刊の岩波新書が1997年刊の岩波文庫に生まれ変わったもの。60代、70代のころであろうか、きっかけは覚えていないが、青芝会という野村久雄氏の俳句会に所属していた。筆で、句会で詠まれた句の清書係を担当していて重宝がられていた。思い出に句集でも残せばよいのにと言ったこともあるが、そういうことはしないと言っていて、どんな句を作ったのかもほとんど知らないが、俳句を作ることの心に少しでも触れられるかと思い、手に取った次第である。
俳句が575の十七文字からなることと季語を入れることは知っているが、その謂われを、俳句が俳句たる所以を、虚子は書いている。正岡子規が1867年生まれ、虚子は1874年生まれで、20代のときに直接俳句を教えてもらったことが、正統派俳句のリーダーとなったことにつながっている。「客観写生」と「花鳥諷詠」という言葉が繰り返し語られるが、つい2日前に読み終えた河鍋暁斎の娘の煩悶につながる。時代もほとんど同じ。そのままを写し取ると同時に、それが作者の心を反映するという。
同じ松山の同じ中学出身の河東碧梧桐は季語不要というあたりで虚子の俳句と袂を分かったという。俳諧の発句が俳句になったというが、発句は季節を読むことになっていたそうである。その俳諧についても18ページにわたって芭蕉とその仲間の連句が紹介されている。あまたある句を読んでも、芭蕉がなぜ偉大な俳諧師たり得たのかは、自分には全くわからない。本書にも蕪村について少しだけ触れているが、俳諧師としては、ほとんど芭蕉しか登場しない。俳句の伝統は、芭蕉―子規―虚子ということになるらしい。
最後に載っている研究座談会は、なかなか面白く読めた。80歳になる虚子に、実子を含む弟子たちが当時の俳句の潮流なども含めて、さまざまにざっくばらんな問答を繰り返した記録である。
日本人なら誰しも知る俳句。十七文字に、季節を読みこんだ上で叙情詩とする。ときどき、戯れに思いついて書き留めたりもすることもあるが、この後は、母を偲ぶ瞬間にもなったりする。
夏の朝 静かに眠り 母は往く

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