澤田瞳子の月人壮士(つきびとおとこ)のテーマ

きっかけは、これもNHKのラジオ。著者が歴史小説を書くおもしろさを語っていた。中公文庫を手に入れたら、8作家の競作企画のルールとして海族と山族の対立を描くというのだ。月人壮士は聖武天皇のことで、母方に藤原(海族)の血が混じっていることで、天皇(山族)として後世に血を引き継いでよいか悩む話である。
東大寺建立により仏教を遍く広めようとしたことが奈良時代の一大イベントであり、それを実現したのが聖武天皇というくらいにしか理解していなかった。しかし、ここにあるテーマは、皇太子を誰にするか、次期の天皇はどうやって決めるのかであり、そのことが天皇にとってとても重い課題であることは、良くわかる。そんな争いの出発点に大化の改新(645年)の天智天皇がいて、その後の壬申の乱(672年)の天武天皇がいる。また、女性の天皇は、ピンチヒッターとされているものの、この時期、少なくない。
聖武天皇は、文武天皇(天武天皇と持統天皇(女性)の孫にあたる)と宮子(藤原不比等の子)の子。また、このころから中宮を2人持つことが一般的になり、聖武天皇にも、藤原の血でない県犬養広刀自と不比等の子の光明子がいる。光明子の生んだ基王は早逝し、広刀自の安積親王も若くして亡くなり、阿倍が孝謙天皇(女性)となるが、その後継に藤原の血の入らない天武天皇の孫が淳仁天皇となる。遺言では道祖王(ふなどおう)となっているが、それは実現しなかったようである。
これだけ、女性天皇が当たり前に多くいることを知ると、明治になって、長男を皇太子とすることがルール化されたことが、戦後の男女平等の憲法が出来たのに、そのままになっていることが、なんだか不思議に思えてくる。
アジアの人物史4が刊行され、その第1章は藤原道長である。まさに、聖武天皇のときから始まった、藤原の外戚としての力が平安後期の白河上皇による院政になるまで続いたということを思うと、天皇家における藤原の血の悩みというのは、まさに聖武天皇の悩みになるのだと理解できる。
まず登場するのは橘諸兄。藤原の血でないが左大臣まで上りつめ、聖武天皇の死後に阿倍が天皇となった後の皇太子を誰にするかという問題が提起される。続いて、円方女王は、皇族の長屋王(後に聖武天皇としては苦しみつつも、風評被害で殺すことになる)と吉備内親王の娘で、宮子(文武の皇后、聖武の母)の掌侍。聖武は母の宮子の死を悼み「灌頂経第11巻灌頂随願往生経」を読む。(p.130)塩焼王と道祖王の兄弟も皇族で、聖武に仕える。天皇は気まぐれに遷都を唱えたりするので、そのための部下たちは、行幸に付き合わされ、道中の苦労話なども少なくない。
道鏡は、印象としては、政治にかかわる怪しげな僧くらいの理解であったが、ここでは、極めて真面目な僧として描かれる。天平17年5月になって、5年にわたる遷都騒ぎが一段落して奈良(寧楽)の地に平城京が決まり、毘盧舎那仏像建立も東大寺と決まる。(p.221)そして東大寺の作事にも従事する。さらには、藤原宮子の頼りにする玄昉に仕えることになったりする。
東大寺作事の責任者としての佐伯今毛人は、東大寺の地に定まる前からそのあたりで猟師として生きて来た大日女に情けをかけたり(p.271)。これは、現代の自然と共生する人間というテーマでもある。そして、最後は、東大寺未完のままに、聖武が息を引き取る場面を、娘への思いと悩みの中に描く。
著者は、研究された資料に矛盾しない範囲で、歴史にフィクションを盛る面白さと語っていたが、まさに、日本史の奈良時代の表の歴史からはとても想像できないドラマがあった。天皇や天皇を取りまく人間たちの思いと行動を、さもありなんと描いている。冒頭にある天皇家・藤原家の系図を参考にしながらも、しばらくは、人の関係の理解に時間を取られるが、細かいディテールはそんなに気にしないでも、最後はみごとに引き込まれた。


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