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薄命美粧

 会社帰り、あまり使わない駅裏のドラッグストアに寄ったとき、たまたま女性店員と線の細い女性が揉めていた。客の女性は、夏なのに長袖のパーカーをすっぽり着て、顔や肌を完全に隠している。日焼けを避けているのだろうか。声が細くて聞き取れないが、商品のクレームか、あるいは万引きの疑いのようだ。周りの客たちも気に留めているが、レジが混んできたので早く収まってくれと迷惑そうにしている。私も今日は外出で汗をかいたので、早く帰って洗顔をしたかった。
 結局、パーカーの女性は両手に抱えていた商品をバアッと床に投げ散らかして、大急ぎで店を出て行った。店員はむきになって追おうとしたが、年輩の店員から床を片付けるよう言われ、不満げな顔で仕事に戻った。床に転がった商品は、ファンデーション、マスカラ、ビューラー、メイク落とし、目薬、コンタクト用品など。しかも、どれも五六本ずつという買い溜めにしても多い数だった。
 翌日の休み、ルームシェア希望の女性が来ることになっていた。年齢は私より少し若い二十三歳。新入社員あたりかもしれない。ひとまず予定通りの時刻にインターフォンが鳴り、液晶パネルを覗いて怪訝に思った。昨晩見た逃げた女性とよく似たパーカーだったのだ。初対面だけど、一応オーナーが面接をしているので身許は大丈夫なはずと信じた。
 ところが、彼女――宇野美也子は同居人として大きな問題を抱えていた。まず、突然失業してお金がかなり減ってしまったのだと言う。唖然とした上乗せで、彼女はパーカーを外せない体になったとも言った。慎重に問い質すと、彼女はとうとう最後に真相を告げた。
「急に、全身に……鳥の目が出るようになりまして……会社を辞めました」
 辞めた会社は風俗だった。キャバ嬢ではなくてデリヘルである。それはともかく体中に鳥の目が出るとは一体どんな状態なのか。本来なら恐れおののき逃げるところだが、それも忘れ、興味本位で「体が見たい」と言うと、「一週間ここに住ませてくれるなら……」と条件を出してきた。悩んだが飲むしかない。
 美也子がパーカーを外し、黒髪をかきあげて上着のファスナーを降ろすと、ぞっとするほど白く美しい気品ある肌と鎖骨が現われ、思わず撫でてみたくなった。だが、生肌にうっすら入った切り傷のような亀裂が、部屋の明かりに触れると赤黒く割れ、ぬるっとした鳥の眼球がこちらを注視した。一つではない。上半身と両腕で三四十個はある。それが一斉に開いた。吐き気を催したが懸命に我慢する。

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「ごめんなさい……ここに、一週間よね?」
「それだけで十分です」
 こうなった理由も今後のことも一切聞かなかった。化粧がしたい、目を癒したいと言うので美容品を貸すと、どれも一日でなくなった。何かしてあげたいと思うが、何もできない。一週間後、彼女はきれいに荷物をまとめて出て行った。行き先は当然尋ねなかった。
(了)

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