見出し画像

後輩会計とセンパイ会長、休日の釣堀に挑む

 開架中学三年、生徒会所属、万能なる生徒会長の屋城世界(やしろ・せかい)さんは、時代が違えば釣り好きで知られる古代中国の名将、太公望(たいこうぼう)と釣り話で盛り上がるほどの傑物になっていただろう。世界さんのおじいさんもお父さんも釣り好きらしく、昨年、南半球のオーストラリアに海外旅行に行って、一家でカジキマグロの一本釣りに挑戦してきたほどの猛者だった。ちなみに姉の銀河さんは釣りでなく現地のサンタクロースを後ろに乗せてマリンジェットを楽しんだそうだが、それはともかく、そんなスケールの大きい先輩から初めて釣りに誘われた、一年後輩、同じく生徒会所属、平凡なる会計の僕は、釣り道具を何も持っていないほどの初心者で、形から入るのも大事だろうとフィッシング専用眼鏡を新しく買ってから当日を迎えた。この眼鏡は紫外線100%カットで弾力性があり軽量な樹脂を使っていて、フィッシングの際の激しい動きにズレにくい仕様で、これなら完璧だ。
 十月十日、世界さんの家の車が迎えに来てくれると、世界さんは開口一番こう言った。
「数井、今日は釣り堀だぞ。お前、海か川にでも行くつもりだったのか?」
 世界さんは紫外線カットが間に合わないくらい健康的に黒く日焼けしていて、カジキマグロの絵が描かれた海っぽいTシャツを着ていて、BIG FISHING! とかっこよく文字が入っていた。世界さんも十分形を決めている気がする。
「え、でも、世界さん、眼鏡店のアプリのカタログを見たら、『釣りのマストアイテム!』って書いてあったんですよ」
「まあ、カタログならそう書いてあるな。うむ、数井、割と似合ってるぞ」
 大袈裟だと笑われるかと思ったら、意外にも褒められてしまった。
「えっ、ほんとですか。あ、ありがとうございます」
「よし、行くぞ」
 世界さん家の車は黒塗りの高級車で、見たことがある三つ頂点がある星の銀色のエンブレムを付けていた。高級車に恐る恐る近づくと、黒いスーツで白髭のスマートな老人が後部座席のドアを開けてくれて、「ご学友の数井お坊ちゃまですね。お待ちしておりました」とすごく丁寧に挨拶された。世界さんと一緒に後部座席に座ると、白髭の老人は運転席に座った。
「せ、世界さん、この人は世界さんのおじいさん?」
「いや、執事だ。俺のじいさんは日本にいない。今月はドバイに海外出張中だ」
「ど、どばい……?」
 世界さんの家はエジプトに本社を置き、他のアラブ各国にも支社を持つ貿易会社を経営している。噂にしか聞いたことがない〝石油王〟たちとも商談をよくするらしい。そんな超がつく御曹司の世界さんは、世界地図を暗記しているかと思えるほど世界中の国や都市に詳しいが、僕は海外の地名も詳しくないので、それ以上聞かなかった。
「……世界さん、僕は初めてなんだけど、ちゃんとできるかな?」
「数井、安心しろ。恐がらなくていい。大事な時は、俺が後ろから支えてやる」
 そう言われると不思議と安心した。世界さんは普段から本当に頼り甲斐があるのだ。そして高級車の快適なクッションのソファに包まれ、僕たちは釣り堀へと向かった。

 町中のフィッシングセンターに到着した。今日、十月十日は、一般的には「目の愛護デー」のイメージが強いけれど、「釣りの日」でもあるのだ。魚の幼児語から「ト(十)ト(十)」の語呂合わせらしいが、魚をトトと呼んでいる子供は一度も見たことがない。それはともかく。
「数井、十月十日は『萌えの日』でもあるらしいな。萌えって何なんだ?」
 割と難しい質問だった。というか、世界さんが萌えに興味を示していることが驚きだった。
「うーん、そうですね、僕もよくわからないんですが、かわいいものを惜しげもなくかわいいと言い表すこと、みたいな感じなんでしょうかね?」
「ん? 質問を質問で返したのか?」
「いえ……まあ、例えば、ちっちゃくてかわいいものに興奮する人っているじゃないですか。猫とか、子犬とか」
「なるほどな」
 世界さんは納得したようで、それから釣り堀の受付で二人分の入場料を払ってくれた。今日は世界さんが釣りがしたくなって僕を誘った形らしいので、入場料は世界さんが出してくれたのだ。それで僕は新しいフィッシング用眼鏡を買う余裕があったわけだ。何でもこの釣り堀は自分の道具を使ってはいけなくて、備え付けの釣竿のレンタルと餌代が入場料に含まれているのだ。フラッと来てすぐ釣れるから子供からお年寄りまで幅広く人気があるらしい。道具や餌があるなら初心者の僕にも安心だ。
 釣り堀に入ると、さすが休日でたくさんの人が釣りを楽しんでいた。釣り堀は海や川の釣りより難しくないので、当たりが出ている人があちこちに見られる。本当に釣れるんだ、と思うとすごく楽しみになった。親子連れの姿も多く、お父さんが息子や娘に教えている微笑ましい光景もあった。僕の親はアウトドアは行かないので全然興味ないだろうけれど。
「よし、数井、今日はここにしよう」
 空いていた場所に丈夫なプラスティックカゴを下向きに置いてイスとして座ると、世界さんは釣り竿の使い方を丁寧に教えてくれた。針の付け方、糸の巻き方、餌の付け方、魚が食いついた時の対処や、たぐり寄せた魚をタモという網で掬い上げるタイミングなど。ここにいる魚はほとんど鯉(こい)だと言う。釣った魚は持ち帰れるが、全部ではなく三十分あたり二匹というルールになっている、と教えてくれた。今日は一時間半の入場料を払ったので、持ち帰れるのは最大六匹までとなる計算だ。なんて説明が丁寧なんだ、と少し感動すら覚える。
「どうだ、数井、他にわからないことはあるか?」
「当たりが来た時は、全力で糸を巻けばいいんですか?」
 昔テレビでカジキマグロ漁をする芸能人の番組をチラッと見た時、船を引っ張るほどの力を持ったカジキマグロに対し、ものすごい勢いで糸を巻いて挑んでいたのだ。
「いや、鯉は重いからいきなり全力で巻くと糸が切れるぞ。少しだけ泳がせ、しっかり針を口に食い込ませた上で焦らず引っ張っていくんだ。当たりが来たらまた教えてやるからな」
「はい、頑張ります!」
 それから一時間半、僕はいくつかの鯉に敗れた。餌で誘っても取られるだけ取られ、手応えがあったはずの糸を何本も切られ、鯉はみんな逃げて行った。
 一方、世界さんは入れ食い状態だった。五分か十分に一匹は釣ってるんじゃないかという勢いで、横から見ていて、魚たちのほうから世界さんの竿に飛びついてくるような勢いで、笑顔で爽やかに無邪気にホイホイ釣り上げていくのだ。一時間半で十五匹は釣ったように見える。このうち六匹しか持ち帰れないというのは、残される九匹のほうがかわいそうなくらいだ。
「世界さん、さすがですね……」
「数井は――やっぱり素直な性格だな。ちょっと竿の動きが足りない気もするな。もっといい場所を狙って竿を動かさないと」
 水が濁っているから一箇所に垂らして待っていても餌が気付かれにくいらしく、試しに前後左右にクイクイ動かしていると、ツンツンとまるで様子見をするような軽いノックがあり、僕は深追いせずスッと一瞬止めてまた踊らせると、最後の最後にカツンと当たりが来た。
「世界さん、来ました!」
「よォし、そのままちょっとだけ押し込んで、そこからグッと引き寄せろ!」
 世界さんが優しくリードしてくれるその呼吸を体で感じて、僕はためらわず竿を握り締めて力強く引いた。頑張って糸を巻き、悪戦苦闘の結果、世界さんがタモ網でフォローしてくれて何とか釣ることができたのは思ったより小振りなかわいい鯉だったが、世界さんは会心の笑みでガッツポーズして、釣り上げた鯉と僕のツーショット写真を僕の携帯で撮ってくれた。
「……世界さんのより、だいぶちっちゃいですね。これは返したほうがいいんですか?」
 すると、世界さんはポンポンと僕の肩を叩き、首を横に振った。
「お前の人生初めての釣果(ちょうか)だ。大事にしろ」
 結局、これで時間が終わり、釣果は世界さんが六匹――本当は十六匹釣ったけれどルールにより十匹を返却し、僕は小さいめの鯉が一匹だった。気持ちとしては当然にも思うが悔しくもある。海や川と違って簡単な釣り堀なんだから経験差や実力差はないはず……と思っていたが、どうも魚に〝モテる力〟の差は歴然とあったようだ。世界さんは妙にニコニコしていた。
「数井、お前は〝小さいの一匹〟っていうのに何か縁があるんじゃないか?」
「ど、どういう意味ですか……」
 それがもし生徒会の後輩女子のことだったら、釣り針じゃなくて古い日本文化や伝承の本を垂らしたほうがすぐ釣れると思う。僕は持ち帰りの鯉をビニール袋に入れ、家から持ってきた大きいクーラーボックスに氷と一緒に入れて、肩からさげた。世界さんも同様だ。中身がぎっしり詰まった世界さんに比べると、僕のボックスは中身が一匹だけで寂しかった。

 帰りも世界さん家の車が迎えに来てくれたが、世界さんの携帯に電話があり、駐車場が混んでいるらしく、川沿いに少し歩いて乗りやすい場所に移動することになった。そのときだ。
『おいてけ~~~』
 後ろのほうで変な声がした。川沿いに浮浪者でもいるんだろうか。
 気にせず歩いた。世界さんに一時間半で一匹は少ないのか聞くと、あの釣り堀ならもう少し釣れるそうだ。餌を付けた時、針があまり隠れていなかったことも指摘された。
『置いてけ~~~~~~』
 また後ろから声がする。さっきより少し大きい声だ。僕たちに言っているのだろうか。ただ、振り向いても何もいない。
「世界さん、変な声が聞こえません?」
「ああ、聞こえるな。置いてけ、って言ってるやつだろ」
 やっぱり世界さんにも聞こえてたんだ。また気にせず歩くと、
『だ~か~ら~~~置いてけってぇ~~~!』
 と念押しでうなられて、薄気味悪く思って立ち止まると、肩からさげたクーラーボックスが何となく軽いことに気がついた。振ってみたら重みがなく不自然だったので、フタを開けると中身が空っぽだった。つまり、貴重な一匹がどこへともなく消えていたのだ。
 しかし、どこかで落としたとか、釣り堀に忘れてきたことはない。間違いなくビニール袋に入れてフタを金具で閉じたのに、金具の開く音はしていない。これはおかしい。

ここから先は

2,627字 / 1画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?