シン・俳句レッスン87
1月の満月は狼月と言われる。もっとも狼には似合わないみなとみらいの夜景だが、月は綺麗だった。あまりにも綺麗すぎて絵葉書的だが。月は秋の季語(十五夜)だが、冬の月は空気が冷たいので、ますます神々しく見える。狼でなくても吠えてみたい気がする。萩原朔太郎『月に吠える』はそんな感情を詠んだのか?
月の句は過去に100句作っていたので、一番多いのではないのか?月が好きなのは前世が犬化の動物だったりして。狼ではないだろうけど、狼は好きだった。シートンの『狼王ロボ』とか、ヘッセの『荒野の狼』。『イージーライダー』のステッペン・ウルフは、ロック・バンドだった。
72句しかなかった。それ以降も10句ぐらいは作っているかもしれない。今日十句足して、まだ足りないか。百句は多いな。西行は百首ぐらいあるのかな?桜が230首というから、あるかもしれない。
『俳人風狂列伝』(松根東洋城)
『俳人風狂列伝』石川桂郎より、松根東洋城。漱石の弟子である松根東洋城は財産家で「渋柿」という結社で自分が選んだ俳人だけしかいれないような厳しさなのだが、俳諧であまりにも東洋城がわずらわしいので若手メンバーが別のグループを作ったところ、脱退していく者が多かったとか。さらに女癖が悪くてそれが元で渋柿の主催を引退したということだ。引き継いだ人はあまりにも松根東洋城がわずらわしいので嫌になってしまったとか。俳句にはそういうオヤジもいるのかもしれない。女好きだから風狂ということなんだが。
大正天皇に俳句について聞かれ、それを俳句でもって答えたら褒められたので、結社の排誌に名称となった。
山頭火
最近、定形づいてしまっているので自由律のリズム(呼吸)を学ぼうかと思い、金子兜太・又吉直樹『孤独の俳句 「山頭火と放哉」名句110選』。110選という中途半端な感じがするが金子兜太の山頭火名句55選の一句批評と又吉直樹の放哉名句55選の一句批評というガイドブック。今日は山頭火55選から。
放浪前に酒造業を営んでいた時の句。「事なし」と「量るのみ」の日常生活の不満が伺えるという。それが「凩」の季語によって強化される。
コップが砕けるのだから、心地よいというのはおかしい。風がコップを砕けさしたのかな。そう取れば心地よいもわかるか。砕ける音で酔いが覚めたとか。
狼の遠吠えがガラスを砕けさすほど破壊力だったという。『ブリキの太鼓』からイメージしたのだが。これは逆の方がいいのかな
これだとオスカル(『ブリキの太鼓』の主人公)が作中主体か?
「ひたひた」のオノマトペが不気味か?青い海じゃなくヘドロの海のような感じか。ヘドラとか。
これはいいかも。ほとんどパクリだった。
いろいろ詰め込みすぎなような気がする。前半がくどいかな。「薔薇(そうび)は散りそめぬ」は決まっている。
山頭火はパクリやすいかもしれない。
これは放浪への狼煙(のろし)か?狼煙という漢字がいい。以後の山頭火を暗示しているという。
短歌では一字空けのテクニックとかあると知ったので俳句でも使いたい。
「南無阿弥陀仏」は結語として使えるな。山頭火は暗い、なんまいだは渋さ知らズ。
「しみじみ」は繰り返し記号が入っているのだが横書きではつかえなかった。「しみじみ」がいいという。山頭火は古道具屋をやっていたみたいだ。家出という家がありだよな。
これはアオギリという木みたいだ。新築で青いのかと思ったら違った。桐で家を作るなんて贅沢すぎるよな。山頭火の青は希求する願いみたいなものが込められているような気がする。
山頭火に子供がいたんだな。それを振り切って漂泊の旅に出るのは西行に似ているのかな?
「地つき唄」がわからなかった。まりつきかと思った。
「悪魔の手毬唄」のYou Tube見つけた。
山頭火の句は繰り返しが記号化されるのが特徴だ。重ねていく音の気持ちよさなのかな。
音に敏感だったのかもしれないな。それで孤独な音が嫌で音を重ねるとか。
この句も音だった。山頭火の描写は音が多いのか?
山頭火は寂しがり屋だな。この年妻と別れたとあるが。ポストに語りかけていそうだ。
山頭火が托鉢するのは関東大震災後だった。寄付金をネコババするようで、それで味をしめてしまったのかもしれない。なんか托鉢でも暗さがなく、明るい感じがする。
NHK俳句
4週目の句会が一番面白い。みんな上手すぎる。あと批評も的確で勉強になるのだ。一度に覚えられないけどこういう句会だと伸びるのも早いだろなと感じる。今日は省略の「の」だった。
落第の後に「した人」が省略された言い方で本来の散文ではこのようには言わない。また扉が内側と外側を隔てるものであり、落第という境界線の扉でもある。額は実際の情景とも考えられるが脳内の感情を表しているとも言える。奥が深い。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から。
春
春に席が決まってそんなに早く席替えとかするかな?学生時代は遠いむかしだから忘れてしまった。でも席替えの興奮みたいなものはあるかな。なんか転校生だったからそのトラウマがあるな。そういうことはなかなか消えないというか思い出になっている。
「大いなる」がいいな。「原っぱ」とか今あるのかな。『モグラ原っぱの仲間たち』という本が好きだった。
暗い。芭蕉を真似たかったのだけれども。
読点をいれるのは珍しいな。一行空けと効果はちがうのだろうか。読点で切られているから付け足しみたいだな。下五はなくても通じるし。
知り合いなのか?「旺(さか)ん」こういう字はどこから見つけてくるんだろう?辞書読むのが趣味なんだろうな。
「春宵」は、春の夕方。蘇東坡の詩の一節だという。
詩吟なのか。発声練習にはいいかもしれない。漢詩も覚えられるし。
寺山修司のパクリみたいだけど、どっちかというと寺山修司のほうがパクったのか?本歌取りというべきか。
本歌より有名になったのだからいいのだろう。虚子の句には何かが足りないと思ったんだろうな。野獣性が。春の宵では眠たくなってしまうよな。実際にそういう句なのかもしれない。
寺山修司は富澤赤黄男の句の本歌取りだったようだ。
ただ寺山修司は上五が破調でその辺の野獣性があるのだが、下五は統一感がある。それが寺山修司のリズムなんだろうか?
NHK短歌で漫画家の藤田和日郎さんが、泉鏡花の言葉で瞬きする旅に異界で、物の怪は絶えず隣にいるというようなことを言っていたのだ。狼男の句だった。
メーデーは五月で先だった。春なのか?今メーデーとか流行らないよな。社会人の時に何回か行ったことはあったが。こう書きながら今社会人じゃないんだと思ってしまった。
無職よりアナーキストのほうが勇気が湧く。
ほとんどノスタルジーの句になっているな。今だと腕組むのは萌えオタクとか。もうメーデーを萌えの日にしたほうが盛り上がるのでは。
北王路翼らしからぬ句だな。春はそんな感じなのかな。
大晩春泥ん泥どろ泥ん 永田耕衣
「大晩春」は作者の造語だそうだ。俳句は造語もありだった。「泥ん泥どろ泥ん」のオノマトペが秀逸だった。
月ばかりみていたけど付き(運)はなかったと振り返る。
4日かかってしまった。
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