やどかり

蓮田隆秀1961.6.16生まれ。noteを始めた日2021.3.8~。映画と読書とツ…

やどかり

蓮田隆秀1961.6.16生まれ。noteを始めた日2021.3.8~。映画と読書とツイッターのまとめnoteにしようと思います。とりあえず俳句をアップしたいな。

マガジン

  • 読書日記

    読書感想文

  • 日記

    毎日、日記をアップします。

  • シン・短歌レッスン

  • シン・俳句レッスン

    俳句研究、自由律作成

  • 五行詩は短詩だけど俳句や短歌に比べて規則もないのでもっとも作りやすい詩かもしれない。目指せ五行詩の芭蕉? 五行詩だけでなく他の多行詩も加えました。

最近の記事

  • 固定された記事

「聞き書き」のスタイルを築いた森崎和江

『奈落の神々』 森崎和江(平凡社ライブラリー – 1996) ETV特集で森崎和江の番組をやっていたので再アップ。 森崎和江は、ユネスコ世界記憶遺産となった山本作兵衛の絵を辿っていく映画『作兵衛さんと日本を掘る』で知った。炭鉱所で保育園を開いて女坑夫から聞き書きをして『まっくら』という本を出したというので興味を持つ。『まっくら』は絶版だった(岩波文庫で再販されるそうです)ので、さらに労働史として追求したのがこの本。炭鉱労働という、その過酷な労働が文字化されにくいこともあっ

    • 『白鯨』を読む

      『白鯨 上 』ハーマン・メルヴィル(岩波文庫) ペリーの来航より前に書かれたのだった。ペリーの来航が1853年、『白鯨』は1851年。すでにアメリカの「捕鯨船が日本の閂を開くであろう」と書いている。イシュメールの見解は(メルヴィルの見解ではない)鯨は魚類だった。哺乳類だとするリンネの科学的根拠も論じながらそれでも魚とするのは聖書「ヨナ書」でヨナが飲み込まれたのは巨大な魚とすることから。イシュメールは(鯨)聖書の書き手である。イシュメールの記述は鯨学から捕鯨の説明とか一つのバ

      • 多様な俳句という形

        『人それを俳句と呼ぶ―並行俳句から高柳重信へ』今泉 康弘【著】 有季定型の俳句ではなく、戦時中に新興俳句をめぐる評論。新興俳句は戦時中に弾圧され、戦後にもその後遺症のようなスパイ事件があったりした。また著者は絵画や映画から新興俳句を論じ、高柳重信の多行俳句の解釈をしていく。それも俳句の姿だというのだが俳句がイメージによる短詩であることを解説していく。高柳重信への興味が一気に開花していくような読書であった。 ラジオのように―COMME A LA RADIO ラジオの深夜放

        • 猫の日や沈む身体(からだ)五月晴れ

          また「猫の日」だった。『白鯨』の返却期限だったので、それを読んでからと思ったのだが「地獄絵」を見て時間を無駄にしていた。『白鯨』もリヴァイアサンという海の悪魔の話だから「地獄変」と言えば言えるのかもしれない。そういえば、林佳評論集『船長の行方』を読んでいたら高柳重信の俳句も『白鯨』っぽいなと感じた。 一行空けに意味があるらしい。そこに『白鯨』を感じてしまったのだ。過剰な読みだが。地獄絵図を見ていて火炎地獄を想像したのかもしれない。高柳重彦はマスターしたい俳人だった。 地獄

        • 固定された記事

        「聞き書き」のスタイルを築いた森崎和江

        マガジン

        • 読書日記
          500本
        • 日記
          305本
        • シン・短歌レッスン
          143本
        • シン・俳句レッスン
          120本
        • 48本
        • 映画
          356本

        記事

          シン・短歌レッス130

          王朝百首 寂蓮法師は西行の友達だったか? 時代的には新古今集だから重なるので、辻邦生『西行花伝』でも登場人物として出てきたからだろう。 寂蓮じゃなかったな。寂然、寂念兄弟だった。間際らしいが鎌倉時代の僧侶というから、すでに春の繁栄は過ぎて暮れゆく春の情景なのだろう。 西行「僧形論」 吉本隆明『西行論』から「僧形論」。 西行の説話集『撰集抄』は今日では贋作とされているのだが、その西行像に影響を受けた芭蕉や後世の作家は「西行」その人よりも「西行」の思想に触れて影響を受

          シン・短歌レッス130

          行ってみたい地獄巡り

          『地獄遊覧 地獄と天国の想像図・地図・宗教画』by エドワード・ブルック=ヒッチング(著),藤井留美(翻訳),ナショナルジオグラフィック(編集) ナショナルジオ・グラフィックの図鑑だから絵が凄い。こんな地獄絵を見せられたら地獄に行ってみたいと思う。日本の地獄絵の方が稚拙な感じだが、その分どろどろしている感じだ。こっちはアートの世界だから、美しいというかそれで面白い。天国図もあるけどやはり地獄図に憧れてしまう。キリスト教世界の地獄図は特にアートとして観賞出来る。ギリシア神話と

          行ってみたい地獄巡り

          救急車サイレンを聞く月見酒

          昨日の夕焼けの写真をアップしながら昨日が満月だったのを思い出した。目をこすりながら写真を撮りに外に出た。 この時間に日記を書けばいいのだが、それから寝てしまうのだいつも昼近くに目覚めることになってしまう。 昨日は図書館に返却本二冊。借入二冊で相変わらず変わらないが。『地獄遊覧』という西欧美術の地獄を表現した芸術本を借りた。これはその前に借りた日本の地獄本『図説 地獄絵の世界』と見比べてみたいと思ったのだ。これは面白い。 読書は『昭和俳句史』をまとめた。これは手元に置いて

          救急車サイレンを聞く月見酒

          『昭和俳句史』俳句のカルチャー化は何をもたらしたのか?

          『角川俳句コレクション 昭和俳句句史 前衛俳句~昭和の終焉』川名大 昭和の俳句史を句作から批評まで網羅した本。昭和の前衛俳句が中心だが、やがて現代俳句協会の分裂で、現代俳句協会の『俳句研究』と俳人協会の『角川 俳句』に分裂するのだがその時代はジャーナリズムの台頭で大衆化されてゆく。それと共に前衛俳句は尻つぼみになっていく。『俳句研究』は高柳重信というオーソリティの元で専門的になっていくがそれは俳句の分化を促していったのだと思う。今は角川俳句一強の時代で実質虚子が提唱した伝統

          『昭和俳句史』俳句のカルチャー化は何をもたらしたのか?

          シン・俳句レッスン117

          花水木 花水木というと俳句よりも一青窈の歌だった。 「袖拭く」は涙というのは古典和歌の常套句なのだが、そこに俗を入れてみた。花水木という憧れのお姉さんとの取り合わせだ。 煙突の見える俳句ー林田紀音夫の煙突と日本映画 今泉康弘『人はそれを俳句と呼ぶー新興俳句から高柳重信ー』から「煙突の見える俳句ー林田紀音夫の煙突と日本映画」より。 敗戦直後の貧しさを詠んだ無季俳句。「煙突」という言葉が象徴するのは「貧乏」という生活で他にも紀音夫は「煙突」の俳句は多数ある。 紀音夫の

          シン・俳句レッスン117

          『美と殺戮のすべて』芸術家のスタイルとしての告発運動映画

          『美と殺戮のすべて』(2022年/アメリカ/カラー/ビスタ/2h01)監督・製作:ローラ・ポイトラス 出演・写真&スライドショー・製作:ナン・ゴールディン 薬物中毒を告発する写真家ナン・ゴールディンの活動と半生のドキュメンタリー。製薬会社を経営するサックラー家は慈善活動家でもあり、美術館や芸術活動に寄付をしているが、自社のピオイド系の鎮痛剤オキシコンチンの薬物中毒(依存)で多数の死者を出しながら責任を取らず薬を売り続けていた薬物公害の利益を上げ、それを慈善活動家として振る舞

          『美と殺戮のすべて』芸術家のスタイルとしての告発運動映画

          宮沢賢治のキリスト教世界の憧れ

          『宮沢賢治の真実 : 修羅を生きた詩人』 梯久美子『サガレン』を読んで宮沢賢治に興味を持って、引き続きこの本を読んだ。 この「真実」という言い方は「事実」は一つだが「真実」はそれを語る人の数だけあるということだ。これは今野勉が思う「真実」であって、宮沢賢治の「事実」ではないかもしれない。ただ宮沢賢治の同性愛についてはETV特集でもやっていた。そこから「銀河鉄道」のモデルとするのはどうなのか? 例えば吉本隆明は『源氏物語』のモデル探しは直接的には文学と関係ない話だという。

          宮沢賢治のキリスト教世界の憧れ

          目をこするこんな世界に猫の手よ

          今日も猫の日だ、昨日がということなんだが。雨が降ると行動出来ない。今日の一句 たいしたことはないな。寝すぎて目が腫れぼったく痒くなるということなんだが、短歌で頑張ろう。 分かち書きにしただけで俳句と一緒だった。それなりにストーリーを盛り込んでいるが。「ああ」の詠嘆調がポイントか。五文字だから付け足したに過ぎないのだけど。定形をやってしまうという口語短歌かな。 啄木が分かち書きをしたのは、このまま文語短歌は誰にも読まれなくなり滅んでしまうという危機感があったから。それで口

          目をこするこんな世界に猫の手よ

          シン・現代詩レッスン9

          今日も『春と修羅』から「原体剣舞連(はらたいけんばひれん)(mental sketch modified)」。 今日はAIに絵を描いてもらった。現代の地獄絵図をリクエストしたら出てきた。今野勉『宮沢賢治の真実、修羅を生きた詩人』を借りてきたがこれは参考になる本だ。まだ二章まで読んだだけなのだが、『春と修羅』は『銀河鉄道の夜』に繋がる重要な作品で、妹トシを追悼した詩であるのは間違いないようだ。 あと賢治の同性愛が絡んでくるようなのだが、この説はどこかで聞いたことがあったよう

          シン・現代詩レッスン9

          暗雲が垂れ込める鯉のぼりかな

          出遅れた。身体の調子が悪いのだ。死ぬのかなと気弱になるほどである。今は普通なんで、波があるんだよな。気分の波か人生の波か。 昨日は図書館に行って返却本三冊に借入三冊。十冊上限だから、他に借りたい本は諦めた。どうしてこんなに読書しているのか疑問に思うのだが、今更成りたい者があるわけでなしに、単なる暇つぶしなんだろうか? 読書。『白鯨』なんて読んでいると特にそんな感じがしてくる。白鯨の何が人生を潤すのか。鯨油というものは今はほとんど手に入らないだろう。抹香鯨の香水とか。龍涎香

          暗雲が垂れ込める鯉のぼりかな

          波紋から共鳴へ

          『ふたつの波紋』伊藤 比呂美/町田 康【著】 考えてみれば伊藤比呂美は女性性を自我の確立として全面的に「わたし」を出してきた詩人であり、町田康はロック歌手としてカッコよく見られたいという観客(他者)を必要としていたのである。その文学観の違いかな。町田康が演劇的というのは寺山修司とかに重なるが、それはどう見せる(自己プロデュース)かというパフォーマンスの延長が文学であり、自ずと出自を問う(自分探しか?)伊藤比呂美の詩とは違うのであろう。だから伊藤比呂美は仏教のような方向に惹か

          波紋から共鳴へ

          たまにはネットの接続も切って、考えろということか?

          『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』千葉 雅也【著】 (河出文庫ち 6-1) ドゥルーズと一緒で言葉が専門(特殊)すぎて半分以上わからなかったのだが、わかるところで収穫はあった。それまでのドゥルーズ解釈は、ベルグソンの持続という概念で世界と接続していく中で関係性のシステム(構造)に組み込まれてしまった。それをヒュームの切断という概念で読み直しを図ろうとするのである。持続/ 切断。スラッシュ/ がポイントで切断を表す。それは二項対立ではなくて生成変化を

          たまにはネットの接続も切って、考えろということか?