見出し画像

俊英を集めて、団体戦もやってもらいたい

『短歌と俳句の五十番勝負 』穂村弘X堀本裕樹(新潮文庫)

荒木経惟、北村薫、谷川俊太郎、壇蜜、又吉直樹、中江有里、柳家喬太郎……。作家、詩人はもちろん、写真家、女優、タレント、芸人から、出版社社長、編集者、書店員、牧師、小学生まで。様々な職業の五十人から寄せられたお題で、歌人穂村弘と俳人堀本裕樹が真っ向勝負! 気鋭の二人は多彩なお題をどう詠むか。それぞれの短歌と俳句を自由に読み解く愉しみを綴るエッセイを各編に収録。

出版社情報

俵万智世代の革命児歌人の穂村弘と、「東京マッハ」や又吉のコラボで人気の俳人堀本裕樹が、有名人から普通の人までの題詠五十番で、勝負する。穂村弘は幻想系、堀本裕樹は俳句のリアリズムかな(季語を入れるからか?)中には逆転している勝負もあるが、これは面白い読み物だった。短歌は文字数が多くなるので、物語的に自由に作れる。反面、俳句は限られた文字数の中で言わねばならない。そのとき季語の役割が輝いてくる。堀本裕樹はほんと俳句が上手い人だと思う。

気になった勝負を見ていくことにする。

「黒」
水泳の後の授業の黒板の光のなかに溶ける文字たち  穂村弘
点描の黒猫の眼の夜寒かな  堀本裕樹

黒が拡散していく様と一点に収斂していく様の対決。だとしたら収斂していく黒の方が色濃いので、俳句の勝ち

「四十八」
AKB48が走り出す原子炉の爆発を止めるため  穂村弘
角落ちて四十八滝鳴りやまず  堀本裕樹

「えーけーびー よんじゅうはちが 走り出す 原子炉の爆発をとめるため」前半は上手く収まっているが後半字余りです。幻想歌。
こちらも季語がない、と思ったら、滝は夏の季語でした。「角落ちて」は春に牡鹿の角を落とすという。それならば季重なりでは?よって、「待」にする(引き分けをそういうみたい。ただ使ってみたかっただけ)。

「放射能」
放射能を表す単位ベクトルの和名すなわち「壊変毎秒」  穂村弘
放射能浴びたる千の亀鳴くや  堀本裕樹

短歌は説明っぽいので俳句の勝ち。千は数が多い譬えで、その「亀」が一斉に鳴くのは世紀末っぽい。

「夢精」
「自慰」はでるされど「夢精」は永遠に出ないスマホの漢字変換  穂村弘
明易きまぼろしの手に夢精かな  堀本裕樹

パソコンでは「夢精」は難なく変換できたけどな。機種によりけりなんだろう。その出ないということに意味を持たせているのかもしれない。「夢精」は「手淫」じゃないから想像だけで射精するのにはよほどのことが無い限り出ないのかもしれない。そう読むとけっこう深い意味だった。「明易(あけやす)き」は夏の季語。夏の夜明けが早いこと。射精としてはすぐに逝くのは良くないので、短歌の勝ち。

「罪」
有罪を告げて陪審員たちは歯医者と助手と患者にもどる  穂村弘
つくつくし誰が罪の尾を引きをらむ  堀本裕樹

これもいい勝負だな。穂村弘は歯医者=敗者と掛詞的に詠んでいると思う。被告は裁判に負けたのだ。そして、非日常から日常に戻っていく陪審員たちと有罪にうちひしがれている被告の対比があると思う。堀本裕樹は「つくつく」法師の無常観と「筑紫の人」というこれも掛詞らしいのだが難解だった。よって穂村弘の勝ち。

「ロール」
青空にエンドロールが流れだす 蝉が鳴いているだけだった夏  穂村弘
つやつやのバターロールや秋の湖(うみ)  堀本裕樹

「ロール」というだけでは難しく、短歌は「エンドロール」で俳句は「バターロール」と事象と物の対決になった。これも短歌と俳句の特徴が良く出ていると思う。穂村弘の夏の幻想短歌はけっこうありきたりなシーンだと思うので俳句の勝ちとするのだが、俳句の方の自説を読むと驚くべき句だった。
「秋の湖(うみ)」の持っていき方が不思議幻想句っぽいのだが、この句のイメージしたのが穂村弘の短歌「ジャムパンにストロー刺して吸い合った七月は熱い涙のような」を踏まえているのだという。そう、これは穂村弘への挨拶句でもあったのだ。堀本裕樹と言えば「東京マッハ」でも挨拶句の達人として知られている。よって俳句の勝ち。これが挨拶句と気づくはずもないが。

「逃げる」
二十一世紀に変わる瞬間につるりと手から逃げた石鹸  穂村弘
雲の峰屋根に逃げたる猿啼けり  堀本裕樹

穂村弘の世紀の変わり目を「石鹸」で比喩するところがさすがという感じだ。新年は穢(けがれ)を落とすことでもあるから清めの儀式は大切だ。猿逃亡のニュース。俳句もいいのだが、やはり世紀の変わり目の方が重大ニュースのような気がするので短歌の勝ち。

「適性」
火星移民選抜適性検査プログラム「杜子春」及びに「犍陀多」  穂村弘
瓜番として適性を見るという  堀本裕樹

「犍陀多」は『蜘蛛の糸』の主人公。それが適性検査というのは面白いと思うが、「犍陀多(かんだた)」をまず読めないのですでに不適なんだろうな。厳しすぎないか?
「瓜番」を「爪番」と読んでしまって、これもすでに適性から外れるな。そして、なんと高浜虚子の正岡子規を揶揄っている俳句「先生が瓜盗人でおほせしか  高浜虚子」。俳句の適性も問われているのである。これは俳句の勝ちかな。

「歌う」
転向の初日に前の学校の校歌をひとり歌わされたり  穂村弘
スキヤキを低く歌ふやクリスマス  堀本裕樹

「歌う」は期待したが穂村弘はネガティブ短歌だった。そういう意味では、堀本裕樹もネガティブ要素はあるが頑固爺さんがいる家庭ではありそう。ケーキより、肉の方が嬉しいかも。よって俳句の勝ち。自説によるとこの「スキヤキ」は坂本九の「スキヤキ・ソング」だった。上手い!

「共謀罪」
友だちがひとりもいない僕の目の中に燦めく共謀罪よ  穂村弘
喰らい合ふ夜食共謀罪めけり  堀本裕樹

短歌は「共謀罪」を逆にポジティブに捉えていて面白い。俳句は当たり前すぎるか?よって短歌の勝ち。

「ぴょんぴょん」
ぴょんぴょんとサメたちの背を跳んでゆくウサギよ明日の夢を見ている  穂村弘
ぴょんぴょんと熊楠跳ねて秋の山  堀本裕樹

これは短歌は当たり前の情景すぎるけど、俳句の「熊楠」は斬新だった。熊楠だったら「ぴょんぴょん」だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?