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「蒲団」を被って寝ているわけにはいかない

『失われた近代を求めて 上』橋本治 (朝日選書)

近代日本文学の黎明期に誕生した「私」をめぐる二つの小説
--田山花袋『蒲団』と二葉亭四迷『平凡』が、文学の未来に残した可能性と困難。
なぜ彼らは新しい文体を必要としたのか?

『古事記』に始まり、平安後期の慈円による『愚管抄』を経て、
二葉亭四迷の翻訳『あひびき』に至るまで模索されてきた日本語文体は、
言文一致体の誕生によって一つの完成をみる。

新しい言葉を獲得していく書き手たちのドラマを、
小説家の視線と身体性から鮮やかに描き出す「第一部 言文一致体の誕生」。

つづく「第二部「自然主義」と呼ばれたもの達」では、
「言えない」を主題とする小説として生まれた「自然主義」が、
いつしか赤裸々な「自分のこと」を告白する私小説へと変貌する姿を活写していく。

橋本治がはじめて近代日本文学の作品群と向き合いながら、
「近代」の組み立て直しを試みる本格評論

目次
第1部 言文一致体の誕生(そこへ行くために;新しい日本語文体の模索―二葉亭四迷と大僧正慈円;言文一致とはなんだったのか;不器用な男達;『平凡』という小説;“、、、、”で終わる先)
第2部 「自然主義」と呼ばれたもの達(「自然主義」とはなんなのか?;理屈はともかくとして、作家達は苦闘しなければならない;「秘密」を抱える男達)

出版社紹介文

今読んでいるこの本は、興味深いことを言っている。古典の『源氏物語』や『枕草子』は当時の口語体であったと主張している。それは女官たちの言葉で表現出来たのが、かな文字ということなんだが、当時の文語は漢文だったわけで、公用語とか男たちの文体は漢文で書かれていた。その後にかな文字が、和歌など(公用語よりは私的な言葉として)に使われるようになり歌物語の世界になっていく。それは女たちの世界を描いているのだ。

その変化は近代文学で言文一致運動が翻訳語から当時の自由を求める青年たちが獲得したのと共通の言語運動であったとみるのが橋本治の古典理解。紀貫之がかな文字を使って紀行文(随筆=エッセイ)で描いたのも漢文では描けない世界の個人の独白であった。橋本治は唯円『愚管抄』を中世の決定的変化だと上げているが。紀貫之もそうだと思う。和漢混合文ということ。

中世になると和漢混合文となって、『平家物語』のような語り物になっていく。そして古典と言われるものは、古い言葉の世界で「旧仮名遣い」と混乱した捉え方になっているという。古典は古い言葉というものと捉えると文語とか口語とかの問題以前になぜ言葉が変化してきたか見えてくるはずだ。

だから橋本治が当時のうたは口語だったというとき、それは桃尻語と重なっていくのである。まあ、橋本治はアカデミーの人じゃないので、そういう意見は黙殺されているのだが。

そして橋本治が注目するのは田山花袋の自然主義なのだ。それは二葉亭四迷の言文一致からの継承としての自然主義文学ではなかったとする。二葉亭四迷が田山花袋らの自然主義に反発して『平凡』を言文一致で書き上げたことは、二葉亭四迷の言文一致(前期)が言文一致(後期)で完成されたということになるという。その他の運動として漱石や森鴎外の一連の文学があり、その中に田山花袋の自然主義文学(『蒲団』)があるという捉え方。
ちょっと田山花袋の『蒲団』のところで錯綜するのだが、それは私小説となって影響を与えるからだと思う。

橋本治はアンチ私小説作家なんだろう。それは美文という文学の伝統よりもそうしたものが押さえつけた自然の発露というもの。それが自然主義文学となっていくものだと思うのだが、一見田山花袋『蒲団』を否定しているように読めるのだが事実は逆なのじゃないか?


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