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シン・俳句レッスン30

今日は写真で俳句十句だな。晩秋の海。人もまばらな黄昏時。当日作ったのは、

秋の雲たどり着いたら須磨の海

平凡な凡人句だった。ただこれは旅の連句の一場面として、連句としての試みだったのだ。それなりのストーリー性はあると思う。

宛てのないきっぷはどこへ秋の雨
書を持って旅に出ようや秋の雲
おっさんも青春18きっぷローカル線
遍歴のドン・キホーテとローカル線
向かい合うサンチョ・パンサと対話する
秋の雲たどり着いたら須磨の海
港町異国情緒の響きあり
ネットカフェ寝るには寒い冷房寝
盂蘭盆会うつらうつらのひとり旅
秋暑し頭もたれるおっさんよ
トンネルの車窓に映る凛の人

旅の連句

昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈

俳句表現史に於いて影響を与えたとする俳句。川名大『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』から。

夕霰枝にあたりて白さかな    高野素十
金剛の露ひとつぶや石の上    川端茅舎
頭の中で白い夏野となつてゐる  高屋窓秋
水枕ガバリと寒い海がある    西東三鬼
戦争が廊下の奥に立つてゐた   渡辺白泉
鶏頭のやうな手をあげ死んでゆけり 富澤赤黄男
鰯雲人に告ぐべきことならず   加藤楸邨
初蝶やわが三十の袖袂      石田波郷
万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村草田男
秋の暮山脈いづこへか帰る    山口誓子

素十「夕霰」と茅舎「金剛」は表現の対象として自然の相が選ばれている。
そこから内面へ表現を切り開いたのが高屋窓秋の「頭の中で」でである。
三鬼の「水枕」と楸邨「鰯雲」の句も内面意識だが表現主体である。
白泉「戦争が」と赤黄男「鶏頭」は社会性俳句としての戦争を。
波郷「初蝶」草田男「万緑」は素十、茅舎からの季題の表現を自然から人間の方へ(人間探求派)

さらにそれらに続く高篤三、篠原鳳作、小沢青柚子の感性鋭い俳句が続く。

水の秋ローランサンの壁なる絵  高篤三
しんしんと肺碧きまで海のたび  篠原鳳作
あきかぜはたとえば喬鋭(と)き裸木  小沢青柚子

高篤三は日野草城「ミヤコホテル」の影響を受けて性的な句を詠んでおり、例えばレズビアンや少年愛や少女愛を詠んでいくが抒情に流されていく。

目をつぶりて春を耳噛む処女同志  高篤三
おとなびし少年の手の汗ばめる   高篤三
白の秋シモオヌ・シモンと病む少女  高篤三

そして、篠原鳳作は連作というテーマ詠で新詩精神を継いでいくが惜しくも早世してしまった。

海の旅  篠原鳳作
満天の星に旅ゆくマストあり
船窓に水平線のあらきシーソー
しんしんと肺碧きまで海のたび
幾日はも青うなばらの円心に
甲板と水平線とあらきシーソー

主題主義による制作は、連作俳句が山口誓子『凍港』の影響から映画的なモンタージュ的手法を取り入れていく。

夢の彩色 われ嘗て肋膜を病みにけるに  喜多青子
夢青し蝶肋間にひそみゐき
夢青し肋骨の蝶ひらひらす
脳髄に驟雨ひゞける銀の夢
叡智の書漂白の夢にくづれくる
天才の漂白の夢書を焚けり

恋人の海果て夕焼け語り尽く
夕暮の砂浜走り母となる
秋の雲たどり着いたら須磨の海
老人は少年を見つ須磨の海

須磨の海連作句

最後は「ベニスに死す」のシーン。

藤木清子の俳句

川名大『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』で取り上げられていた女性俳人がふたりいる。その一人が東鷹子(三橋鷹女)であり、もう一人が藤木清子であった。

しろい昼しろい手紙がこつんと来ぬ   藤木清子
ひとりゐて刃物のごとき昼とおもうふ  藤木清子
戦争とをんなはべつでありたくなし   藤木清子
夏痩せて嫌いなものは嫌いなり     東鷹子
ひるがほに電流がよひゐはせぬか    東鷹子
みんな夢雪割草が咲いたのね      東鷹子

川名大『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』

行人高く見上げて土あつき
蚊火燃えて凡なる夏がめぐり来ぬ
蚊火燃えて詩書にすがりて生きてゐる
蚊の墜つる静かな音が身に韻(ひび)く
あつき夜が四角の壁となりて責む
空は青磁ましろき蝶の孵りたる
空は青磁昼月(つき)のかけらがふりやまず

宇多喜代子編『ひとときの光芒 藤木清子全句集』

昭和12.9月からそれまでの水南女を改め藤木清子で出句。その9月夫である藤木北青氏がなくなり、篠原鳳作も逝去。


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