見出し画像

吉本隆明の「歌論」ー「写生」の理念としての短歌史を紐解く

『写生の物語 』吉本隆明(講談社文芸文庫)

『万葉集』や『おもろさうし』に特徴的でその後は顧みられなくなった語法、子規や啄木など明治期歌人の試み、また塚本邦雄・岡井隆といった現代前衛歌人の新作、そして俵万智『チョコレート革命』に至るまでの短歌(謡)表現を貫くものは何か? 起源以前と死後を等価とし、表現を緻密に追いつづけることで見えてくる豊穣な世界。

出版社情報

吉本隆明の歌(和歌・短歌)論。最初に古代の音韻がどうのと面食らうが、その取っ掛かりをクリアすればそれほど奇異なことは書かれていない。『言語にとっては美とはなにか』で展開させた文学論の延長だろうか?吉本の難解そうな言葉に慣れれば、中世の和歌(百人一首)は音韻的なものから入って意味を問うことはなかった。それは中世の歴史なり和歌の歴史的なものが理解できて初めて意味が汲み取れるものだ。そういう音律として五七五七七の調べがあるが、五音を長調、七音を短調と捉えて、俗謡は五七の繰り返しなのだが、和歌的なるものは最後に短調で閉めることによって感情を表現しているという(短歌的声調)。その傾向は現代まで続き、おおむね短歌は哀しい調べであるとする。

その和歌的音韻が伝統短歌的なものでは守られて、例えば生活詠でも自然詠でも哀調を帯びるものになる。それは詠嘆調とでも呼ぶべきものなのか?

戦後の前衛短歌になるとその音韻的なリズムを外そうとする。また生活詠や自然詠とかけ離れた幻想の世界へ短歌は開かれていくことなる。相聞という伝統歌は相手に呼びかける形でも自問自答の短歌になっていく。その戦後短歌の変革を形而上学的(前衛短歌)という。

吉本が新しさを求めるのは岡井隆や塚本邦雄でそれほど短歌論からは外れてないと思う。その対極に伝統短歌があるという感じか。

「おふでさき」の世界

天理教教祖の中山みきを論じた歌論。「おふでさき」を五七五七七の短歌的声調が主張される意味よりも音韻として人の心に残る呪術性に注目しているところが面白い。確かに短歌形式になっているのだ。

世界中の胸の内よりこの掃除 神が箒や確(しか)と見でいよ
これからは神が表い現れて 山いかゝりて掃除するぞや
一列に神が掃除をするならば 心勇んで陽気尽(つく)めや  (中山みき「おふでさき」三号) 

『写生の物語 』吉本隆明

中山みきは豪農の働き者のおかみさんとして、ぐうたら亭主と病気の息子を抱えていた。それでも家を維持するために掃除に精を出して主婦して強迫観念的に掃除をしていたから、埃を掃除するという概念は、やがて神を招くという「おふでさき」となって出てきたとする。巫女的というのはそういうことかもしれない。

そこで大切なのは意味的なもの以上に音韻的な人々の心に残す言葉なのだ。それはキリストの言葉を解釈するのはキリストではなく神父や牧師なのだ。キリストの言葉は意味よりも人々の心に刻むことの重要性。

そんな「おふでがき」の言葉を解体する散文としての出口なおの『大本神諭』は埃や掃除ということばを社会や政治的な言葉に結び付けられて俗世に染まっていく。それは解釈として読まれるべき言葉になってもはや個人救済というよりも組織としての宗教となっていく。大本教が教義的な宣託として国家宗教化していく。

詩人たちの短歌

詩人の短歌として、宮沢賢治は、宗教的様相を帯びてくる。

アナロナビクナビ睡たく桐の花さきて
峡に瘧(おこり)のやまひつたはる

ナビクナビアリナリ 赤き幡もちて
草の峠を越ゆる母たち

ナリトナリアナロ 御堂のうすあかり
毘沙門像に味噌たてまつる

アナロナビクナビ 踏まるゝ天の邪鬼
四方(よも)につゝどり鳴きどよむなり
              (文語詩「祭日[二]全編)

賢治の短歌的声調はやがて、詩と呼ばず「心象スケッチ」と呼んだ。その宗教的な感性を回復する道が文語詩なるものになっていく。

中也の短歌的声調は未熟さを伴って詩へ開示していく。立原道造は短歌的声調を詩に活かしながらやがて散文的なエピグラムのような様相をおびていく。

法然の「釈教歌」

中世の短歌的声調は哀傷歌として個人の哀傷を歌にしたが、それらはやがて「釈教歌」という個人を超えて仏教としての理念としての歌になっていく。その現れに法然の釈教歌として花開いていく。それは親鸞の和讃につながっていくのか?

このことから吉本の歌論は、形而上学的なものよりも短歌的声調の重要さを考察するのだ。
歌人でいうと塚本邦雄よりは岡井隆、中山智恵子よりは葛原妙子が好みのような気がする。

らい病歌人と言われる明石海人についても、「らい病」というイメージが短歌に過剰な意味を与えてしまうので、病気じゃない自然詠の歌を抽出して、そのときに観念だけの形而上学的な歌だと判断する。短歌を勉強(研究)しすぎる人にありがちな言葉で素直に入ってこない。過剰な意味を持たせようとするという。

まとめ

吉本隆明の歌論。相変わらず難解な言説だが、論理はそれほど難しいことを言っているわけではなかった。五七五七七という短歌的声調(音韻)は意味的なものよりも百人一首のように調べとして記憶されやすいものである。だがそれは個人的な理念を失っていく。それは戦後短歌の反省として塚本邦雄らによる前衛短歌運動として、形而上学的な難解短歌が生まれる。吉本は形而上学的な短歌よりも短歌的声調に注目して、釈教歌が法然の短歌のうちに現れたように、そこから世俗歌としての理念(例えば親鸞の和讃)として口語化していくと見る。

その発展形が俵万智の口語短歌とするのだが、吉本の理念とするのは正岡子規から斎藤茂吉の中に見られる理念として、生活詠=自然詠として弁証法的理念を見出していこうとするような。それは仏教的な神仏を詠むよりは「象蛇でもの泣き居るところ」とする創造力であるとするものなんだろうか?俵万智は結局は慣用句的な反俗世的な歌に陥ると。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?