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東大、院試、合格発表

いまはどうなってるのか知りませんが、私が受験した当時、東大の院試の合格発表は、キャンパス内に掲示板で張り出されるスタイルでした。

私はそのとき神奈川の実家にいて、お昼近くまでぐうぐう寝ていたうえに、本郷まで電車で二時間くらいかかるので、東大についたときにはもう午後でした。

普通、発表と同時、とか、少なくとも午前中に掲示板を確認するものでしょうから、そんな時間にとことこ出向いたら、もう掲示板の前にはまったく人影がありませんでした。

掲示板で自分の受験番号を確認し、今日の用事はそれだけですから、いま来た道を戻ってさっさと帰ろうと、建物の中を通って大通りに面する門をめざします。道すがら、他の研究室の合格発表の掲示板も、いくつか立っています。

そのうちの一つに、車椅子の男性の姿がありました。同じくらいの年齢の男性がお一人、すぐそばに寄り添っています。お二人とも掲示板の方を向いていて、私からは後ろ姿しか見えません。さきほどの行きしなには気がつかなかったのは、私がそれなりに急いでいたためか、それともそのときには二人がまだそこにいなかったからなのか、それもちょっと分かりません。

でも、彼らが、それまでそれなりの時間、そこで身じろぎもせずにいたであろうことは、すぐに分かりました。

車椅子の彼は、掲示板を見上げたまま、何も言いません。つきそいの彼も、目の前を見つめたまま、黙って立っているだけです。

私が彼らを横目に通り過ぎるまさにその瞬間、車椅子の彼が、はっきり、こう言いました。

「あー、落ちてたかー」

掲示板に書いてあることを、確認するための言葉、自分に聴かせるための言葉、そんな感じでした。特段、取り乱すとか、逆に笑い飛ばすとか、ましてやふてくされて、言っているようではありません。そんなことは全然なくて、ただ、淡々と、自分が不合格だった、と声に出して言ってみた、という感じ。

そして、つきそいの彼も、その言葉は確実に耳に届いているのに、まったくなんの反応も示しません。車椅子の背もたれに手をやるとか、腕組みして首をかしげるとか、何か言葉をかけるってこともなく、ただ、淡々と、目の前の掲示板を見つめているだけ。

二人はずっとそうやってそこで動かず、その後ろ姿は彫刻のように、建物の陰から、くっきり浮かびあがっていました。振り返っても振り返っても、まだ二人はじぃっとそのまま。

あのときの車椅子の彼の、無念さ、あれを今でもよく思い出します。彼がいかに感情をコントロールして、あの一言を口にしたところで、あの無念さは、どうしようもなく隠しきれないものでした。

どれだけ成績がいいひとでも、性格がいいひとでも、情熱があっても、研究計画がきちんとしていても、落ちるときは落ちる。どれだけ準備していても、どれだけ自信があっても、自分よりできる人がいる可能性は常にあるし、その日の出題内容が自分の専門分野とうまくマッチしない可能性も常にあるし、そのそのときそのときの環境で、自分がいつもの調子を保てない可能性も常にあって、落ちるときは落ちる。

また挑戦すればいい、とか、これで終わったわけじゃない、研究室はほかにもある、別の道だってある、と慰めてくれる人もたくさんいるし、事実そうなんだけれども、本人がそれに納得できない限り、だからどうしたって思うだけ。おまえは自分が受かったから、そんなこと言えるんだ、って言われたら、そんなことないよ、そういうことじゃないよ、って言いたいところだけど、事実そんなことあるし、そういうことです。

だから誰が何を言っても本人には届かない。黙って、本人がのみこむのを、待つしかない。のみこめるのかも、わからないけど、待つしかない。

のみこむまでの本人のつらさ、苦しさは、察するに余りある。春から東大で勉強する自分を一秒でも想像した後なら、なおのこと無念でしょう。

率直に言って、東大で研究するってスゴイことだ、って世間では評価してもらえることだから、自己肯定感や自己評価も上がるし自信もつくし、少なくとも家族は喜んでくれる。悪い気はしない。自分一人のことじゃない場合、そうやっていっそう無念がつのるはずです。

私自身は、家族や周囲を喜ばせるために受験したわけではなく、昨日の自分との戦いをしてたとかいうわけでもなく、流れというかご縁で受験するに至ったので、研究への情熱がなかったわけじゃないが、たぶん普通の受験生との温度差はあったと思います。直後に始まる学究生活というものへの真の理解が無かったから、ともいえますが、なんにせよ、何かしらの覚悟をしてたわけじゃない。

でも、あの彼は、きっと一切をそこにかけて、受験に挑んだのです。何か一生をかけて研究したいテーマがあったはずなのです。東大でなければ実現できない何か、彼にしか見えない聞こえない触れない特別な何かをかかえて、受験本番に臨んだのです。

それでも、かなわなかった。

なのに、私みたいのが、通ってしまった。

私はあの光景を忘れることはありません。私と彼が志望した研究室は完全に別物なので、私が合格したことによって彼の席がなくなってしまったとか、そういった事実は全くないのですが、私のような頭ん中まっしろなやつが、彼みたいに歯ぎしりして勉強するタイプに、とってかわってしまった、というイメージが、私の中では罪悪感と共に常に浮かんで消えません。

私は、東大という場所はともかくとして、大学院で研究したこと、少なくとも学位をもらえたということと、そのもらえた学位そのものを、なんとしてでも日本の社会に還元して生きていかなければならないーーーーひらたく言えば、人様のお役に立たなければならない、そうでなければ、私は残りの人生あほうとして生きていかねばならんのです。私にふってわいた、東大の院に在籍する、というチャンスを、いったいどれほど多くの人が欲し、しかし願い破れ、いったいどれほど多くの人が、しかも私よりそのチャンスにふさわしかったことか。それを考えるたび、あの車椅子の背中を思い出すたび、私は自分に喝を入れ檄を飛ばすのです。

私が死ぬとき、走馬灯のように思い出す場面の中に、確実にあの彼の後ろ姿はあります。私はあの微動だにしない背中を見てしまったからこそ、これまでもこれからも、私にはできもしないまっとうな人生を送ろうと、姿勢を正すのです。


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