0520「あとをひくんだよなあ」
このところ、相方が将棋の相手をしてくれるというので、お父ちゃんのところにはもっぱら二人で出向いていたため、先週末久しぶりにひとりで行くと、なんだか忘れものして来てしまったという感じがした。
こうさんはどこ?
お父ちゃんも当たり前のように聞いてきた。
今日は仕事(ほんとは麻雀仲間との月一の定例会)。
そう返すと、もう相方のことなど忘れたように、パンおくれと手を差し出す。
認知症が少しずつ進んでから、父はよく聞く話そのまんまに食べものに執着するようになった。それも、以前は好んで口にしなかった甘いものを食べたかった。今は、きょうだい三人で父の個人的なおやつ(ホームで提供されるお三時とは別に)をスタッフの人に預けて、毎日少しずつ食べられるようにしている。
1年前くらいまでは直接、本人に渡して保管してもらっていたが、いつからかあるだけ食べてしまうようになったので、そういうことになった。父の兄は糖尿病を長く患って他界したし、姉も糖尿の気がある。家系的に父も危ういというのもある。
食べたいものも食べられないのは、本人も辛いだろうが、周りも愉快ではない。ホームで暮らす老人の楽しみは限られているから。難しいところだ。
将棋、する?
こうさん、おらんらろ。
ゆみことしたらいいやん。
お前と、か…。
不服なんか!と心のなかで突っ込みながら、将棋盤を開いて駒を乗せると、ほならやろか、盤を開いてくれという。
開いてるよ。
だからこれを開かなあかんのや。
わたしの声は耳に入らず、盤が開いていることも見えていないようだった。駒をどけてから盤をいったん閉じて、わたしは父が見えるように盤を開いて駒を乗せる。父はようやく納得する。認知機能が弱っている人には、そうやって本人が納得するようにやって見せるのが早い。
生前、母は夫の認知症を認めていなかったので、同じことを繰り返したり、意味不明(母にとっては)な発言をすると、いつも厳しくただして、しっかりして頂戴と責めていた。
父といると、母の怒った顔ばかり思い出されて、胸が痛くなる。母にそういう顔をさせたのは、わたしたちきょうだいが父を母に押しつけたからだ。
母には感謝の言葉ひとついわなかった父だが、その日も3時間ほど一緒に過ごしたあと、じゃあ帰るわねと声を掛けて右肩をぽんぽんとたたくと、よっしゃわかったというふうにその右肩を上げて、「ありがと。ありがと」と二度繰り返した。
父にありがとうと言われるたびに、胸が締めつけられる。
そんなこと言う人じゃなかったのに。母にそう言って欲しかったのに。わたしは母の万分の一も何もしてないのに。
わたしはエレベーターのところに行くまで、父をふり返ってみるが、父はあっさり自分の部屋に戻るのに車椅子を漕いで、まったく後ろをふり返らない。
もしかすると、次に会うときはもうわたしの顔を忘れてしまうかもしれない。考えてもせんないことだとわかっているが、やっぱり何度も振り返り、ちょっとは残念がってくれたらいいのにと小さく腹を立てたりもする。
父のところに一人で行くと、そうやっていつももやもやする。
でも、父は父で、置いていかれたような気持ちで、毎日を過ごしているのかもしれない。
ここは話し相手も将棋相手もおらんし、何もすることがない。
こないだもそう呟いていて、わたしには返す言葉がなかった。
できることなんて限られてる。いつもそう思う。スタッフの皆さんには頭が下がることばかりだ。ほんとに。