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雑記 9 / ガールズバーの謎、男性性の弱さ

僕の暮らす杉並の片隅外れの駅でもガールズバーは存在していて、夜は季節問わず客引ために女の子が駅前に立っている。そろそろ暖かくなってきたものの、真冬は本当に不憫だった。
その不憫さについていってしまう人もいるんだろうか。僕はお酒が全く飲めないので行くことはないけれど。
しかし、ほんの少し電車に揺られれば都心に出られるこの立地なら、ザ・繁華街のガールズバーで働くという選択肢だってあるわけで、おそらくその方が稼ぎも良いだろうと思う。どうせなら家から近い方が、などの理由だろうか。繁華街のガールズバーでは競争も激しいから、競合の少ないエリアで手堅く稼ごうということなのか。だとすれば、あんな真冬の寒空で客引をせねばならないような店はハズレじゃないのか。

繁華街のガールズバーには、その市場規模ゆえにいろんな人が集まるのだろう。歌舞伎町のガールズバーは過酷そうだ。しかし、こんな住宅地がメインのローカル駅のガールズバーをわざわざ選ぶ人たちの思考も不可解に思える。働くにしろ、通うにしろ。もしかしたらお店側にこれぞという切り札とか強みがあるのかもしれないけど、あの客引の様子からはその線も薄い。繁華街のガールズバーに通う人よりも複雑な何かを抱えている人が多いのではと邪推してしまう。

そこまで言うなら行ってみれば、と思われるかもしれないけれど、そもそも呑めないし、あるいは謎は謎のままに、分からないままにしておく方が良いこともある。そこから想像するだけの方が楽しいかもしれない。ぼんやり考え続けることで、全く違う何かと繋がってそれが解決するかもしれない。
例えば現代の社会構造によって行き場が無くなっている男性性の弱さの問題とか。

稲垣諭『「くぐり抜け」の哲学』にも通じる話かもしれない。


妙な流れで書いてしまったけれども、現代社会における「弱さ」について、この本ではくらげの現象学を切り口に問いを重ねていく。男性性にまつわる問題については、我々を取り巻く社会制度だけでなく、それを制度化する言語にすら疑いを持つ必要もある。
男性がその「弱さ」をどう生きるか、という問題について否応なく向き合わされるこの書物とガールズバーへ疑問はどこかで繋がるような気がする。

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