WAN緊急声明をめぐる立場表明

はじめに

 わたしたち「青山さんを支援する会」は、性別適合手術のためのクラウドファンディングを行なっています。まだご覧になっていないかたがいらっしゃいましたら、どうか、お読みください。どうか、実存を知ってください。

◯クラファンサイト

 わたしたち「青山さんを支援する会」は、WAN(Women’s Action Network)有志による「LGBTQ +への差別・憎悪に抗議するフェミニストからの緊急声明[1]」に、賛同の署名を行いました。

 同時にわたしたちは、WANに掲載されたトランスジェンダーに対する排除的な言説を含む記事について、当声明が出てもなお、いまだに公開されている事実を強く批判します。すぐに記事を取り下げること、また、これらの事実についての謝罪と説明を求めます。
 さらに、WANによる声明文が、トランスジェンダーに対する排除的な言説の論理を組み込んでしまっていることの問題性について指摘します。

 以下では、差別的な主張や文章について言及をしています。できる限り差別言説の引用は避けましたが、閲覧の際にはご注意ください。


[1] 2023年6月14日「LGBTQ+への差別・憎悪に抗議するフェミニストからの緊急声明」https://wan.or.jp/article/show/10674#gsc.tab=0


「素晴らしい声明」

 WANのような「フェミニストサイト」において、著名な人物らによるこの声明が出されたことには一定の効果があると考えられます。トランスジェンダーに対する排除的な言説の拡大にはあらゆる連帯を通じて抗することが必要です。現に、わたしたちがバックラッシュにさらされている中で、フェミニズムのプラットフォームでこのような声明が出されるということには、少しの期待が持てるのかもしれません。

 しかしWANがこのような声明を出したことについて、われわれは手放しで喜ぶべきではないとも考えます。つまり、「なぜこれまで沈黙が貫かれていたのか?」ということに留意すべきだということです。

 「今回投稿された石上氏の主張について、改めて議論することはこれからの女性運動のあり方にとって意義があると考え、投稿を掲載しました。」[2]との理由から、現在もなお、WANにはトランスジェンダーに排除的な内容の論考が掲載され続けています。トランスジェンダーに排除的な内容の論考が掲載され続けていることに何の説明もなされていない、という点で、沈黙はいまだに貫かれている、とも言えるでしょう。
 WANというフェミニズムのプラットフォームにおいて、トランス排除的な言説が「意義がある」ものとして、「場」を与えられてきた/いることは、確実に昨今のトランス排除的な言説の流布に大きな影響を与えていると言えるでしょう。トランスジェンダーに対する排除的な言説は、その場を広げ、2023/06/15現在、国会の中にまで拡大しています。

 これらの事実とそれを引き起こした責任の一端があることについて、撤回や謝罪を行わずに、トランス排除的な言説に対抗する声明を出したことについて、WANは説明責任を果たすべきであると考えます。


[2] 2020年8月19日「投稿『トランスジェンダーを排除しているわけではない』について:WAN編集担当より」より。リンクは掲載しません。


「反論」?

 トランスジェンダーをめぐる議論において、「女性の安全」が語られるとき、そこで想定されているのは「シス女性」と「トランス女性」のみです。しばしば、これらの利害が対立するなどとして“議論”を呼んでいるわけですが、われわれの社会における安全を考えるとき、果たしてここでは誰が、あるいは何が取りこぼされているでしょうか。

 WANによる声明文では「トイレや公衆浴場はだれにとっても安全であるべき」だと述べられています。この文章で述べられていることがらにまったく異論はありません。問題は、トランス排除的な言説に抗するはずの文章が、トランス排除的な言説の論理を組み込んでいることです。

 トランス排除的な言説の論理を組み込んでいることの問題性には、トランスジェンダーとして生きることに絡みつくあらゆる困難が「“女性”スペースの問題」に矮小化されてしまうことが挙げられます。シスジェンダーがトイレと公衆浴場と更衣室の行き来だけで生活しているわけではないように、トランスジェンダーとしての困難は、あらゆる生活上に存在します。そのような現状を鑑みず、「“女性”スペースの問題」における不安ばかりを語ること、そしてその論理の中で反論することは、トランスジェンダーが直面する困難を矮小化し、より透明化します。

あらゆるわれわれの存在と理解可能性

 また、「女性の安全」への反論である「だれにとっても安全であるべき」という主張には、果たして「“女性/男性”という枠組みの中で理解可能な存在」以外の存在[3]が想定されているのでしょうか。「“女性/男性”の枠組みの中で理解可能な存在」ではない存在もまた、トイレや公衆浴場を利用したりしなかったりできたりできなかったりしています。これらの安全について、ひいては存在について、「女性の安全」の論理の中では消し去られています。
 「女性の安全」の論理に組み込まれている限りにおいては、”女性”にあらゆる女性が含まれているときでさえ、バイナリーに理解可能ではない存在は「だれ」という想定の外にあります。単にこれは、想定しうる”女性”(あるいは「だれ」)の範囲を拡大すればよいという話ではなく[4]、”女性”(あるいは「だれ」)の中に、何が含まれる/ないのかという政治のなかで、あらゆるわれわれの存在にあるさまざまな差異を取り落とさないことが重要です。

 このように、「トランスジェンダーへの差別、偏見、憎悪をなくす動き」が、「“女性”スペースの問題」を取り上げるとき、それは、トランスジェンダーが直面する困難を矮小化すると同時に、バイナリーなトランスジェンダーに含まれない存在を透明化する動きを含みます。


[3] 多様なジェンダーについての理解には「ガンガゼモデル」が参考になります。anarchist_neko、2020年10月15日、「ジェンダーを図示する」
https://anarchistneko.wordpress.com/2022/10/15/visualising_gender/

[4] この論点や、「トランス差別」に「反対」する文脈におけるノンバイナリーな者への差別についてはこよね(2023)による記事https://nonbinaryken.studio.site/posts/no_nonbinary_discriminationが参考になります。


おわりに

 わたしたちは、ある属性のみに対する差別、偏見、憎悪をなくすことだけを「最優位」に置くような、優先順位のある“反差別”を拒絶し、あらゆる差別に反対します。
 バイナリーなトランスジェンダーに対する差別的な言説に反対し、同時に、バイナリーなトランスジェンダーに含まれない存在に対する差別的な言説に反対します。

 以上に述べたような批判を抱えつつ、今回、われわれはWANの声明に賛同することにしました。これが、トランスジェンダー、あるいはあらゆるクィアに対する差別をなくす動きにつながることを願います。

文責:M

参考文献

・Ahmed, Sara, 2016, “An Affinity of Hammers”, TSQ: Transgender Studies Quarterly, 3(1-2):22-34. (藤高和輝訳,2022,「ハンマーの共鳴性」『現
代思想』50(5):90-106.)
・anarchist_neko、2023、「『フェミニズム』とは何か、何であってほしい
か」『a.n.』(ZINE)。
Faye, Shon. 2021, THE TRANSGENDER ISSUE, London: Allen Lane. (高井ゆと
里訳,2022『トランスジェンダー問題——議論は正義のために』明石書店.)
・こよね、2023、「【記事】ノンバイナリー差別を廃絶するために」、ノンバイナリー研究会ウェブサイトhttps://nonbinaryken.studio.site/posts/no_nonbinary_discrimination
・Serano, Julia, [2007]2016, ”Whipping Girl: A Transsexual Women on Sexism and theScapegoating of Femininity”, New York: Seal Press.(矢部文訳、2023、『ウィッピング・ガール——トランスの女性はなぜ叩かれるのか』、サウザンブックス)。


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