私がどうやって毎日を「生きて」いる/いたのか ③|青山

「青山さんを支援する会」では、現在クラウドファンディングを実施しています。拡散・ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
○クラウドファンディングサイト

※今回も、青山さんに寄稿をお願いしました。こちらはシリーズの第3回目です。


今回は、私とうつ病との戦いについて書いてみようと思います。

うつ病の発症前

うつ病の発症は2020年の10月、9月に小学校で5週間の教育実習を終えた後でした。
その間は、男子大学生として完璧に「パッシング」することを求められていて、私はそれを遂げようとしました。

そこで初めて、男性としてのパッシングの失敗を経験します。
配属された学年の児童から「先生って女の子みたいだよね!」と笑顔で言われたのです。
私は焦りました。今まで一度も、カミングアウトした人を除けば、「女みたい」などと言われたことはありません。
もしかしたら、性別違和があることがバレてしまったのかもとさえ思いました。
(後でその子に聞いた話では、「女の子の遊びも得意/好きな男性の先生だな〜と思ったの」とのことでした)
小学校の教育実習では、遊ぶことも実習内容の一部ですから、そのように映ったのかもしれません。
しかし、私にとってその経験は、今後男性としてパッシングしていくための自信を失わせるに十分な効果がありました。

そこから体調不良が続くようになります。

うつ病の発症

前兆は特にありませんでした。急に体が重たくなり、起き上がれなくなりました。起き上がれないなら寝るかと思っても、眠れない。スマホをいじろうにも、長い文章が理解できない。
そのような状況が続きました。
起き上がるのは、トイレに行く時と(仕方なく)買い物に行く時だけ。
一度起き上がるにも、30分から1時間かかることもありました。
大学にも行けなくなってしまいました。

受診/うつ病の診断

それまでは、かかりつけの内科に通いって睡眠導入剤を処方してもらって眠っていました。しかし、あまりにも気力が起こらないことを友人が心配し、私に受診することを勧めました。
私は最初は気乗りしていませんでしたが、友人の助言に従うことにしました。
私にとって、「うつ病」と診断されることが怖かったのです。両親は精神疾患のことを理解していませんでしたから、受診して診断が出てしまったら、何をされるかがわからなかったからです。

まずは予約から始まります。しかしこれが時間がかかる。初診の予約は早くても2ヶ月先と言われました。このままの状態で、2ヶ月を過ごすことになります。

精神科のクリニックに行くと、まずは心理検査から始まります。質問紙とカウンセラーによるものがありましたが、聞かれる症状のほとんどが当てはまってしまうんです。
最終的にその心理検査の結果をもとに、うつ病の診断となりました。

自分がなぜ動けないのかわからない状態から、「うつ病」という名前をつけられたことは、怖いことだったのと同時に救いにもなりました。
ただただ自分が怠けているわけではなく、れっきとした病気の症状なんだとわかったことで、今までできなかったことを受け入れられるようになりました。

その診断結果をもとに、大学に合理的配慮の申請をすることにしました。
すでに欠席回数が規定回数を超えてしまっているものは配慮できないとのことでしたが、授業によっては出席の代わりにレポート課題を行うことで出席の代替としても良いというもの。評価は最低になってしまうが、提出物さえ出せば出席が0でも良いというもの。教員によってさまざまでしたが、うつ病の症状に合わせて対応してくれました。
その時に協力してくれたのが、大学の臨床心理士とゼミ教官でした。各教員に働きかけてくれたほか、留年や休学をせずに卒業できる方法を一緒に考えてくれました(私の家庭には、留年する金銭的余裕はありませんでした。また、教員免許を取得する関係上、休学はできませんでした)。

性別を移行する

うつ病の中で大きな壁となっていたのが、性別の問題でした。もしかしたら、これを解決できれば、うつ病の症状はよくなるのではないか? という思いが自分の中にはありました。
そこで主治医と相談し、診断書を書いてもらいました。
その診断書を持って、大学側と交渉することになります。

大学の交渉窓口は臨床心理士とゼミ教官でした。
そこで、「女性として大学生活を送りたい」と、診断書とともに申し出たのです。

最初の回答は、「前例がないので、時間が欲しい」というもの。
確かにそうでしょう。入学前に相談がある場合は想定していても、在学中の性別移行はそうありません(している方がいたらごめんなさい)。
その中でも、通称名の使用、トイレや更衣室についての問題は大学の懸案事項でもありました。

通称名の使用

通称名の使用についてはすぐに許可がおりました。
というのも、教職員や研究員については、すでに通称名の使用が認められていたからです。この制度は、主に旧姓を使用したい教職員や研究員を想定していましたが、これをトランスジェンダーの当事者に適用する必要性もあると大学側が判断し、2020年から正当な理由があれば、学生も通称名を使用することができるという規則が制定されました。
これによって、私は女性名で大学生活を送ることができるようになりました。

トイレについて

トイレについても、大学側としては不安要素だったようです。
しかし、お茶の水女子大や奈良女子大の例を調べる。法律家に戸籍上男性のトランスの女性が、女性用トイレを使用することについて法律的な問題が生じるかについてを聞く。1ヶ月ほど大学で検討した結果、他の大学で問題が生じていないことや、大学側で該当学生を把握していること、法律や条例上問題が生じないことが確認できたことから、トイレについては使用することができるようになりました。
(とはいえ、女性用トイレを使うのは自分としても怖かったので、使うまでに時間がかかりました。初めて使ったのは、困っている様子を見た友人から女性用トイレを使うように促されてからです。)

更衣室について

更衣室については、使用する講義を受講することがないため、特段問題は生じないという判断をされました。
しかし、今後同様の学生がいた場合にどうするかといった指針作りが必要であるという認識を持っていただいたようです。

友人をはじめ、大学の臨床心理士やゼミ教官、その他大勢の教員、大学側の理解があって、最後の1年間だけは女子大学生としての生活を送れるようになりました。
(コロナの関係で、対面授業がほとんどなかったので、実感はあまりありませんでしたが、卒業証書に自分の名前がしっかりと記されていたのは嬉しかったです)

性別移行後/うつ病の安定

この頃になると、うつ病が回復期に入り、症状が安定するようになりました。
動けない時間は相変わらず多いですが、大学の授業を受ける日や通院の日、外出しなければいけない日の前に体調を整えたりして、少しずつ日常生活を営めるようになっていきました。
2月ごろになると、全く動けない日が月に数日ほどとなり、周囲からかなり遅れてはいましたが就職活動を行えるようになりました。
就職活動は、トランスジェンダーであることをオープンにして、受け入れてくれる学校を探し、なんとか非正規ではありましたが、教員生活を送ることができました。

現在

現在は、公立学校の臨時的任用教諭という非正規公務員として、高校に勤務しています。
半年ごとの契約なので、いつ契約がなくなってしまうかという不安がありますが、これからも生徒のそばでサポートできる仕事を続けていきたいと思っています。
(今年の教員採用試験を受ける予定なので、非正規脱却が目標です。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?