あおぞら。

高校1年の初夏、まばゆい青空の下、偶然出会った。それからの3年間、部活のように会いに通…

あおぞら。

高校1年の初夏、まばゆい青空の下、偶然出会った。それからの3年間、部活のように会いに通った。思えば少女漫画のようなきらっきらの青春、あまりに強烈でその思い出の宝箱は封印してきたけれど、2018年、鍵が弾けた。改めて、類い希なるスーパースター西城秀樹の軌跡功績を広く伝えたい。

マガジン

  • Sweet Memories

    1974~1977。 そんな昔のこと?と思われるでしょうが😅でも「推し」への思い、「沼落ち」のトキメキ切なさは、いつの世も同じ。時を超えて共有できるはず。アイドルでロッカーで歌うまヴォーカリストでワイルドでセクシーな王子様だった西城秀樹(すべて誇張ではない😂)。そんな彼の面影を遺すべく、遠い日の記憶をたぐり寄せて。

  • Playback

    思い出を綴る「sweet memories」の番外編。70年代歌謡曲全盛期、あの時代の記憶、記録。備忘録。

最近の記事

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あの日の青空~出逢い~

あの日。友とあたしは、いつもの駅で降りなかった。降りるべき駅に着いても座ったまま、銀色の扉がゆっくりと閉まるのを眺めていた。          高校に入って親しくなったその友とは家も近く、自然と登下校を共にするようになっていた。いつもの駅から小一時間電車に乗って郊外にある学園に向かい、授業が終われば又小一時間電車に揺られ、いつもの駅で降りて家までの商店街をぶらぶら歩く。   まさに歌謡曲全盛期。毎日いくつもの歌番組が繰り広げられ、家にも街角にも喫茶店にも、絶え間なく歌が流れ

    • White Christmas

      74年から76年の高校3年間、授業が早い時間で終わる日は、終業のベルが鳴り出すと同時に駆けだして、電車を乗り継ぎ赤坂へ。そしていつもTBSの真向かいにある事務所(芸映)のビルの入口あたりで何をするでもなく、ただただ秀樹を待っていました。 あの頃、秀樹は家も近く、TBSの仕事が多かったから、その仕事の前や合間に芸映に寄るのは日課のようなもので。マネージャーが事務所の中で仕事の確認や打ち合わせをしている間、秀樹はドアの外に出てきてくれて、待っている私達(大抵4,5人)とお喋りし

      • 祝グラミー賞MasaTakumi(&HidekiSaijo)

        2023年2月5日、ビッグニュースが。グラミー賞の最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞をMasa Takumiこと宅見将典さんが受賞した。このMasaさんが西城秀樹さんの甥子さんだということは、世間一般にはあまり知られていないかもしれない。でも、秀樹ファンにとっては周知の事実で、この賞にノミネートされた時から皆がざわざわしはじめていた。 残念ながら私は、Masaさんが秀樹コンサートに参加されるようになった頃にはもう離れていたから、彼が秀樹の甥で優れたミュージシャンだっ

        • 76年大晦日(紅白そして初詣)

          (Twitterのモーメントが廃止とのことで、今までマトメてきた<#西城秀樹 ⚡️ "sweet memories>を、少しずつ分けてこちらに。前後のツイートが見えないので話の流れが分かりにくい部分があるかもしれませんが、どうかご容赦を) 74年からの3年間、学校帰りに赤坂へ通っていたけれど、高校生だった私には門限があって、どんな状況でも夕暮れ時には(後ろ髪ひかれつつ)帰途についていました。でもこの76年の大晦日は、高校生活最後ということもあって親に外出を許してもらい、夜の

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        あの日の青空~出逢い~

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        • Sweet Memories
          6本
        • Playback
          2本

        記事

          ほろにがバレンタイン(75’)

          あの頃。 事務所界隈でよく会っていたメンバーの間には、暗黙のルールのようなものがあった。秀樹が来ても、騒がない、まとわりつかない、負担をかけない。 だから日頃はプレゼントや手紙も控えていた。渡すとしても、ガムとかミントキャンディとか。手紙も、小さなメモにしてみたり。でも。さすがに大きなイベントには、何かしたい。贈り物をしたい。想いを伝えたい。特にバレンタイン には……。 ただ、2月には大事な予定があるらしい。かねてからの宿願であるアメリカでのレコーディング。世界的歌手を目

          ほろにがバレンタイン(75’)

          「遠き恋人の君」

          「遠き恋人の君」 西城秀樹 詞 沢田知可子 曲・編曲 宅見将典 duet Rie(#MILK) 2008年に録音されたままリリースされず、隠れた名曲というクリスマスソング。秀樹が、若き恋の想い出を沢田さんに語り、それを歌にしたのだそう。そう思って聴くと、ちょっと胸がざわついたりもするけれど。 私がこの歌に重ねるのは、まさにあの頃。学校帰りに赤坂へ飛んでいって、秀樹が来るのを待っていた、あの頃のこと。 あの頃。私達にとって赤坂のあの事務所界隈は、現実の学校生活とは別の「青

          「遠き恋人の君」

          70年代の赤坂という街(2)

          というわけで(?)。 1974年~77年頃、学校帰りに通っていた赤坂の街。 まず、地下鉄千代田線の「赤坂」駅から、一ツ木通り方面の階段をあがると、そこにはもうTBSの局舎がどーん、と。その隣にはTBS会館がどーん、と。たぶん当時にしては「近代的」な造りだったのだと思う。その存在感たるや、すごかった。(Pinterestで見つけたこの画像に写る2棟の大きなビルの左側が局舎―厳密にはここはラジオ棟で、TV局舎はこのビルの奥に続いている―、右がTBS会館) で。その局舎の前のさ

          70年代の赤坂という街(2)

          70年代の赤坂という街

          最初に書いたように、私が赤坂に通っていたのは1974年春頃から77年春までの3年間。秀樹が19歳~21歳の頃。毎日いくつもの歌番組があり、テレビからもラジオからも、そして街角にも歌が溢れていた歌謡曲全盛期、後のバブル期とはまた違う、熱狂の時代。テレビに関わる人たちは、とにかく面白いことを、ヒトとは違うことをやってやろう、と、熱に浮かされたかのように寝食忘れて駆け回っていた。 ちょうど今、昭和歌謡に注目が集まっていることもあり、そんな時代のことを訊かれることがある。TBSとい

          70年代の赤坂という街

          #いい推しの日

          昨日。ツイッターにはこんなタグが。 #いい推しの日なので私の推しを紹介します #いい推しの日 で、noteを見たらこちらにも同じタグが。 ということで、こちらをリンク。 この時、秀樹はハタチ。 弱冠20歳にして、この歌唱力、この色気。 この番組がオンエアされた時、レビューを書かれた「平成生まれ」のライターさんも、この最後の「眠ろう」に「トキメキました」と告白(?)している。 https://thetv.jp/news/detail/192615/p2/ 少女漫画の王

          #いい推しの日

          10月のカレンダーは今日で見納め。 この写真、好きだった。 どこか、あどけなさが残っていて。 でも基本的に #西城秀樹 ってずっと変わらない。 ほんと、永遠の #イケメン王子 💕

          10月のカレンダーは今日で見納め。 この写真、好きだった。 どこか、あどけなさが残っていて。 でも基本的に #西城秀樹 ってずっと変わらない。 ほんと、永遠の #イケメン王子 💕

          とにかくカッコイイ―エモいエロいエグい―3曲!

          ああ、もう時間がない。と想いつつも、こんな推し活にぴったりの「お題」に参加しなくて、なんのための推しブログなのか。と、自分に活を入れて、ぎりぎりの参戦。 前回の記事に書いた通り、10月2日(土)にNHKBSプレミアムにて3時間20分の特番<伝説のコンサート 西城秀樹デビュー50年スペシャル>がオンエアされた。 これが予想以上の反響で。ツイッターでは、番組開始から翌朝まで「西城秀樹」がトレンド入り。トレンドワードには「ヒデキィィィ」なんていう叫び声(?)まで入ってしまうほど

          とにかくカッコイイ―エモいエロいエグい―3曲!

          昨夜アップした記事、タイトルにミスがあり(秀友さんに教えて頂いた)大慌てで訂正(間に合ってよかった)。正しくは「本日19時半から3時間20分SP!」です。ああ。あと数時間。コンサートへ行く日のワクワクが久しぶり(ン十年…久しぶりすぎる)に蘇る。どきどきどき。

          昨夜アップした記事、タイトルにミスがあり(秀友さんに教えて頂いた)大慌てで訂正(間に合ってよかった)。正しくは「本日19時半から3時間20分SP!」です。ああ。あと数時間。コンサートへ行く日のワクワクが久しぶり(ン十年…久しぶりすぎる)に蘇る。どきどきどき。

          本日19時半から、3時間20分SP!

          以前にも書いた通り、ツイッターではファンが日々「秀活」(西城秀樹の軌跡・功績を広く伝えるための活動)をしている。 この「秀活」。そもそものきっかけは、訃報後になぜか、きちんとした追悼番組が放送されなかったこと。情報番組の1部で取り上げられることはあっても、歌手としての軌跡功績を辿り、本人の歌唱映像で構成されるはずの「追悼特番」というものが、ほとんどなくて。 70,80年代の歌謡曲全盛期、日に何度もお茶の間(のTV)に現れては歌い、平均視聴率30%超えという人気ドラマにも出

          本日19時半から、3時間20分SP!

          playback~まさにこの時

          最初に書いた通り、あの頃のものは残っていない。レコード、カセットテープ、プロマイド、切り抜き、生写真。手帳も日記も交換日記も手紙も。なんにも、ない。唯一残っているのは、胸の中の「記憶」だけ、と言いたいところだけれど、肝心のその「記憶」自体が、定かでない。 高校卒業と同時に秀樹からも卒業しようと決めて(今思えばそんな必要もなかったのに)、それからずっと封印し(一時期ちょっと惑いますが)、訃報に接して舞い戻ったブーメラン(出戻りファンのことを、秀樹ファンはこう呼びます)。そんな

          playback~まさにこの時

          [Sweet Half Moon]

          ツイッターを眺めていたら、月の写真がたくさん流れてきて。 窓をあけて見上げてみると、たしかに煌々と照る月。 でも今宵は十五夜ではなく、十三夜とか。 月の歌、というと、思い出すのはこの曲。 秋の月、というより、夏の甘くせつない月夜だけれど。 このアルバムが出たのは1978年。 私はもう離れてしまっていたから、 リアルタイムで聴いていたわけではなくて、 ブーメランして、動画や音源を辿る中で、知った歌。 でも、1度聴いただけで、すっかり馴染んでしまった。 耳に、からだに。 もう

          [Sweet Half Moon]

          恐る恐る書いてみて、思いがけず♥を頂いた。ありがとうございます。フォローは全くしないか全部返すかのどっちかかなあ、って、あれこれ悩んだけど。せっかく頂いたご縁だから、ぜんぶ繋がってみようかと。#フォロバ100 でやってみます。どうぞよろしくお願いします。

          恐る恐る書いてみて、思いがけず♥を頂いた。ありがとうございます。フォローは全くしないか全部返すかのどっちかかなあ、って、あれこれ悩んだけど。せっかく頂いたご縁だから、ぜんぶ繋がってみようかと。#フォロバ100 でやってみます。どうぞよろしくお願いします。