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#ネタバレ 映画「セザンヌと過ごした時間」

「セザンヌと過ごした時間」
2016年作品
画家と作家
2017/9/12 17:12 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

画家は「モチーフの中に美を見つけ、自らの感性で増幅・変調して、キャンバスに置く」のが仕事なのでしょう。「自然が芸術を模倣する」ようになるほどに。

しかし、いくら妻を描いても、妻は絵のようには美しくならない。

苛立つセザンヌ、怒る妻。

でも、作家は「モチーフ自体を愛することができる。美は美なりに、醜は醜なりに」。

彼は100人でマラソンをして「100番でゴールした人」も美しい主人公にすることができます。映画「運動靴と赤い金魚」のように。

そんな作家ゾラは、セザンヌをモチーフにした小説を書きました。

それは1番でゴールした話ではなかったかもしれませんが、ゾラにとっては立派な芸術だったのでしょう。

ある意味それは「親友に当てた讃歌」だったのかもしれませんね。

しかし、セザンヌの画家的感覚では美しい話ではなく、それどころか「悪口」みたいに感じられたのかも。

同じアーティストでも、「棲む世界が違う」ことが、心のすれ違いを生んだのかもしれません。

映画のラスト、二人が別れて何年かの後、ゾラが帰ってきて、庭で市長と歓談していました。密かに人だかりの輪に加わるセザンヌ。

やがて市長はセザンヌの話を。

するとゾラは言いました。

「彼は天才だ。しかし…出世はしなかった」(正確ではありませんが、概ねそんな話)。

あれも作家一流の「讃美の言葉」だった可能性があります。

しかし、声をかけんばかりの瞳で見つめていた画家・セザンヌには理解できず、肩をおとして一人、アトリエである山へ帰って行ったのでした。

★★★☆

追記 ( セザンヌの劣等感 ) 
2017/9/13 14:16 by さくらんぼ

>そんな作家ゾラは、セザンヌをモチーフにした小説を書きました。それは1番でゴールした話ではなかったかもしれませんが、ゾラにとっては立派な芸術だったのでしょう。ある意味それは「親友に当てた讃歌」だったのかもしれませんね。しかしセザンヌの画家的感覚では美しい話ではなく、それどころか「悪口」みたいに感じられたのかも。

その「 … それどころか『悪口』みたいに感じられたのかも。」を、さらに増幅したのが、セザンヌに巣くう「劣等感」でしょう。

もの心ついた時から、「劣等感」はエイリアンみたいに私にも寄生しているので、セザンヌの気持ちが分かる気がします。

>彼は100人でマラソンをして「100番でゴールした人」も美しい主人公にすることができます。映画「運動靴と赤い金魚」のように。

話は変わりますが、映画「運動靴と赤い金魚」より映画「マイ・ライフ」〈1978年〉の方が、意図した事に近いです。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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