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#ネタバレ 映画「いま、会いにゆきます」

「いま、会いにゆきます」
2004年作品
美しきフェアプレー
2004/12/29 9:37 by 未登録ユーザ さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

陸上競技で、抜こうとした相手から不正な妨害をされた彼は、転んでしまいました。

「状況が変化した時にもフェアプレーが出来るのか」これが、この映画の語っていたことだったのでしょうか。

主人公である彼は、自分が病気になったことを知った時、大好きな彼女の元から静かに去ろうとしました。病弱の身では彼女を幸せに出来ない。そう思ったのです。また、子供とのかかわりで言えば、自分が人ごみに出られないのを承知で子供のためにお祭りに行き、倒れてしまいました。これが男心のフェアプレーだと思います。

一方、自分の死期が近い事まで知ってしまった主人公である彼女は、逆に彼に迫りました。短くても幸せな結婚生活をおくれると確信していました。でも彼女の気持の焦点の多くは生まれてくる子供に合っていました。子供をこの世に誕生させる為に自分の命は惜しみませんでした。これが女心のフェアプレーなのでしょう。

その他にも、ケーキの長期契約期限の最終日に店を閉めると言った店主は、きっともっと早くから閉店する事情が出来たのに、約束の期限まで頑張ったのでしょう。あれはお店のフェアプレーなのですね。

さらに患者の話す超常現象をにこやかに聞きながらも、「僕は医者だから立場上信じるとは言えない」と申し訳無さそうに話す医師。

梅雨が明けたとき、授業中に訳も言わず「家に帰りたい」という子供の真剣なまなざしを信じて送り出した先生。

彼の同僚の女性と合い「自分が消えたら後をよろしく」と言いつつも、「それは耐えられない」と泣き崩れる彼女の気持。理性と感情のせめぎ合いだったのでしょう。

ところで、たぶん男の視点で語られてきたこの映画ですが、終盤になって初めて彼女の内面が語られます。それで男女とも相手の気持が充分には分からぬままに、精一杯誠実に相手と向かい合っていた事が分かりました。卑怯な事、見苦しい事は何もありませんでした。映画ではこの純愛をフェアプレーと呼んでいたのかも知れません。

この映画は良い出来栄えだと思います。もちろん計算をしたのでしょうか、それだけでは到達できないところまで行ってしまいました。名作です。

追記 ( さよなら ) 
2016/6/16 13:42 by さくらんぼ

「別れの挨拶」はフルコースの最後に出るデザートのようだと気づきました。

映画「セーラー服と機関銃」でも、「さよならは別れの 言葉じゃなくて 再び逢うまでの 遠い約束」と歌っています。

今まで何度も心の中で口ずさんだ歌詞ですが、最近やっと、その一行の重みが分かったような気がします。

私たちは「さよなら」を言うためにこそ、そこへ出かけて行くべきだったのです。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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