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ネタバレ 映画「アヒルと鴨のコインロッカー」

「アヒルと鴨のコインロッカー」
2006年作品
知らない方が良い事もある
2007/8/3 20:14 by 未登録ユーザ さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

椎名の父親が、椎名に電話で話します。

「おまえの学費は、お父さんが汗水たらして働いて稼いだお金だ。でも、まあ、気にせずに、使いなさい」。

正確ではありませんが、たしか、そんな意味の言葉でした。

気にせずに使って欲しいのなら、「汗水たらして働いたお金だ」なんて、わざわざ言わなくてもいいのに・・・。

私はそう思いました。

映画の冒頭、本屋の看板が「BOOK」と大きく写ります。そして、舞台は大学。ともに、知らない事を知るための物、そして場所です。

でも、世の中には、知らなくても良いことも多いのです。

椎名も、本屋襲撃の真実を知らない方が良かったでしょうし、動物虐待の犯人も、彼女の定期券を拾わない方が身のためだったのです。

残酷な真実よりも優しい嘘が必要なように。

追記 ( Stand by Me ) 
2013/4/30 10:37 by さくらんぼ

仙台駅、椎名とドルジの別れのシーンです。ドルジが「また逢いたい」旨の言葉をかけますが、椎名はOKの返事と、NOのボディ・ランゲージを残して改札口に消えていきました。

あれは、きっとNOが本心であり、椎名はドルジとの友情を強制終了するつもりなのでしょう。OKとも言ったのは、椎名の優しさ故だと思います。

そもそも、二人の関係は、ドルジの企みから始まりました。彼は計画的に嘘をついて椎名を騙し、己の目的遂行のために密かに利用したのです。もちろん椎名を善意の第三者以上には巻き込みたくない、という優しさも、本当の事を言ったら協力してはもらえないかも、という心配もあったのでしょう。でも、いずれにせよ、利用された椎名は、後に真相を知った時、内心では、心が凍りつくほどの衝撃を受けたはずです。

椎名は田舎から出てきたばかりで、何も分からず右往左往しているところを友達面した男に騙されて、事もあろうに強盗殺人事件の共犯にまでされかけたのです。そんな事が公になりでもしたら、それこそ、何かの映画にもあったとおり、椎名の親戚縁者、孫子まで、大きな迷惑が及びかねません。椎名ひとりの人生が台無しになるだけではすまないのです。

この映画は、椎名も、ドルジも、そして犯人も電話の、訛りのある言葉、から・・・あえてこの言葉を使いますが、「よそ者」なのですね。この映画はよそ者が孤立してゆく悲劇も描いていました。

ときどきアメリカで、学校での銃撃事件が起こります。その犯人の中には、移民で言葉の壁があり、そのためクラスメイトやご近所との心の交流が出来ずに(子供時代に移民したため、母国語も、英語も未熟な少年になってしまい、デリケートな言葉の表現ができないため、自分の心の内を吐露できるような会話ができず、疎外感を抱き、友もできないまま)孤立していったことが遠因の人もいた、と聞いたことがあります。さらに、最近起きたマラソンでのテロ事件、あれも異文化に溶け込めないアメリカ人の若者でした。もちろん、だからと言って犯罪が許されるわけではありませんが・・・。

そう観ると、この映画は、意外と先進的なテーマも扱っていたのかもしれません。

追記Ⅱ ( 風に心が揺れるから ) 
2015/10/2 22:27 by さくらんぼ

私が立禅である「三円式站とう法(さんえんしきたんとうほう)」をしているのは何かの時に書きました。あれをすると、両手の間に直径1mほどの強弾力性の「気のボール」ができます。人がもたれかかれるほどの強度があります。

「気」は風の影響を受けないと言いますが、今までは私がやっても、気のボールは風の影響を受けて揺らぎ、ときに消えかかるのでした。

でも、台風、いえ、爆弾低気圧一過の強風の中、本日、公園で行った「三円式站とう法」では、「気のボール」は「私、風には関係ありませんけど、それが何か」的に、微動だにしませんでした。まるで直径1mの石になったみたいに。

自分ながら、今まで揺らいでいたのは、いったい何だったのだろうと思うほどに。

そのとき、禅の逸話を思いだしたのです。

「旗が風に揺らいでしました。2人の弟子が、『旗が揺れている』、いや『風が揺れている』と言いあっていましたが、師が通りかかり『お前たちの心が揺れている』と喝破したという話です」。

私の気のボールの揺れも、ある意味、同じだったのでしょう。

今までは、私の心が、風の前に、揺れていたのです。だから気のボールもリンクして揺れていただけなのです。

この映画「アヒルと鴨のコインロッカー」のラストに流れる、ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」は、私の記憶違いでなければ、ディランが、ブータンかどこかの、お経の書かれた旗が、風に揺れている様を見て、作ったのだとか。あれは、旗がディランの心を揺らしていたのでした。

追記Ⅲ ( 妖しくも美しい樹々 ) 
2015/10/4 15:02 by さくらんぼ

立禅をしていたとき、目の前には、直径50mほどの、だれもいない芝生の公園があり、向こう端には大きな桜の樹が何本も植わっていました。太陽光がさんさんと降り注いでいます。

その樹が、強い風に揺れているのです。まるで海中に漂う海藻のように、得体の知れない沢山の触覚を持つ生きもののように。そんな、ジブリ・アニメにも出てきそうな、妖しく美しい世界が、そこにありました。

手書きアニメでは、樹々のゆらぎは、極めて大ざっぱに、それこそ漫画的に描かれています。しかし肉眼で見る、リアルな樹々の揺らぎは、一枚一枚の葉っぱの動きに、感動的なほど「蠢いている」(うごめいている)感があるのです。4K、いや8Kテレビ以上でしょう。

このショーを見るためには、近づきすぎても、離れすぎてもダメで、たぶん50mぐらいがちょうどよいはず。

こんな風に遊んでいたら、時々わが身を揺らす風なんて、いつのまにか、なんでもなくなっていました。

そのせいなんだ。あれが、静止したのは。

追記Ⅳ ( 溶けたクリームソーダのような青空 ) 
2016/10/14 7:19 by さくらんぼ

追記Ⅲを書いてからほぼ一年になるのですね。昨日もあの日と同じ公園に行き、ひとりで「気功」をしてきました。

風はそんなに強くはありませんでした。

ただ…私の気持ちが一年前とは少し違っていることに気づきました。私はどこか旅人なのかもしれません。

「…今度のバスで行く西でも東でも

気がつけばさびしげな町ね

この町は…」

( 「ジョニーへの伝言」より抜粋 歌:高橋真梨子 作詞:阿久悠 作曲:都倉 俊一 )


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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