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#ネタバレ 映画「三度目の殺人」

「三度目の殺人」
2017年作品
福袋、的な
2019/5/25 9:34 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

映画「轢き逃げ -最高の最悪な日-」には、娘を轢き逃げされた父が、事故の真実を探し求める姿が描かれていました。遺族にとって「真実」は「癒しの薬にもなるもの」のようです。

一方、この映画「三度めの殺人」には、「真実なんていらない人たち」が描かれていました。(どこまで本当かは知りませんが)裁く者たちは「入れ物」である容疑者に、「何を詰め込むか、だけを考えている」ようでした。

もしかしたら、裁判員制度には、ある程度、この「溝を埋める役割」もあったのかもしれません。

面会室のガラスに写る容疑者の顔に、弁護士の顔が重なった時、容疑者が「私は入れ物なんです」と言うシーン。

この容疑者の告発は、寒々とさせるものです。二本の映画は、両方観ると良いかもしれません。

★★★★

追記 ( 「利害の調整ですよね。真実はわかりませんから」 ) 
2019/5/25 16:35 by さくらんぼ

「 『そして父になる』の法律監修をしてくれた弁護士さんたちと食事をした時に『よくテレビなんかで裁判の判決が出て控訴することが決まって、アナウンサーが“真実を追究する場所が地裁から高裁に移りました”って言うけど、あれ、違和感あるよね。別に法廷は真実を追究する場所じゃないもんね』って言われて、じゃ法廷は何をする場所なんですか? って聞いたら、『利害の調整ですよね。真実はわかりませんから』って。それは非常に冷静で現実的な判断だし、僕はむしろ誠実だなって思ったんです。

でも、一般的には法廷は真実を追究してくれる場所だって、僕も裁判の当事者も思ってる。でも、人間がすることだから決して完全なものではなくて、その不完全さに目をつむっておかないと司法というシステムは維持できない。その怖さはあるなと思って、“裁判は利害の調整でしかないと思っていた弁護士が、今回だけは真実を知りたいと思う話”というのを思いついて、さっきの累犯の話とドッキングしたんです 」

(  ぴあ映画生活 「“人を理解する”とはどういうことか。是枝裕和監督が語る新作『三度目の殺人』」 〈2017/09/08更新〉より抜粋  )

追記Ⅱ ( 容疑者もまた利害関係者 )
2019/5/25 16:51 by さくらんぼ

ぼんやり観ていたので良く分かりませんが、ある少女(広瀬すずさん)が、性的なDVを受けていたようで、それに気づいた容疑者が、少女といっしょに相手を殺めたような気がします。

容疑者はこの「性的DVが表に出ると、少女の将来に、マイナスになる」と思ったのでしょう。

だから、一切を自分が被った。

ちょうど殺人の前科もあるので、その罪滅ぼしというか、この善行!?で、神さまに帳消しにしてもらう気持ちもあったのかもしれません。

容疑者もまた、利害の調整をしたのです。

追記Ⅲ ( 「いちばんたいせつなことは、目に見えない」 )
2019/11/11 6:28 by さくらんぼ

>「別に法廷は真実を追究する場所じゃないもんね」(追記より抜粋)

「 そして、ジャーナリズムとは真実を伝えるために存在するのではない。事実を可能な限りあるがままに伝えることだけが、使命なのだ。」

(  2019.11.9 朝日新聞(朝)13面 オピニオン&フォーラム 真山仁のPerspectives:視線 TOKYO2020 「人が伝える=偏向」メディアへの不信 事実を見抜く視点 人にこそ より抜粋  )



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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