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#ネタバレ 映画 「僕はイエス様が嫌い」

「僕はイエス様が嫌い」
2019年作品
そんなもの
2019/7/16 22:27 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

少し陰のある女がいて、口説こうとする男がいる。

しかし、女はいつも、つれない。

ある日、みかねた女友だちが、男に言う。

「近づく男は何人もいたけど、みんな不幸になった。男運の悪い女さ。だから、彼女は誰ともつき合わないよ」、と。

ときどき、ドラマで見かけるエピソードですね。

でも、このように不思議なめぐりあわせの人は、実際にいると思います。

と言いますか、人生って、不条理というか、時にそんなものかもしれません。

この映画「僕はイエス様が嫌い」は、それを体験した小学生の物語。まだ「そんなものだ」という事を知らない。

TVのような四角っぽい画面です。

そこで展開する地味なドラマ。

どこか、是枝監督の味わいに、似てなくもありません。

追記 ( 芽生え ) 
2019/7/17 9:33 by さくらんぼた

再放送されているNHKドラマ「おしん」が話題になっています。タイトルが示す通り、「おしん」は、戦争を反省した日本が、戦わないで、我慢や辛抱で生きていく姿を描いていると思います。いや、我慢や辛抱を武器にして、人生と戦っていると言うべきか。

このような話をするとお叱りを受けるかもしれませんが、ある意味、宗教も「我慢・辛抱」を受け入れるための道具であったのかもしれません。宗教は長い間、たぶん絶対的な指針でした。

しかし昨今は、若者を中心に、「我慢・辛抱」を否定して生きる人が多くなってきたようにも見えます。

それは将来、神の否定、宗教の否定にもつながっていくのでしょうか。

もしかしたら、この映画「僕はイエス様が嫌い」が語っていたのは、そんな萌芽だったのかもしれませんね。

追記Ⅱ ( 僕は〇〇が嫌い ) 
2019/7/17 10:14 by さくらんぼ

例えば、事務・営業職になったのに、昨今では電話を取らない新人君が目立つようです。

おじさんである私も、事務職であったのに、新人時代から電話・接客が大の苦手で、先輩からたびたび注意されていた人間ですから、偉そうなことは言えません。

でも、ひとつ言えるのは、どんな仕事にもある雑用を、私は新人や目下の者の務めだと理解していました。ですから注意されたら自分が罪人になったように落ち込んだものです。

しかし、昨今の若者には、新人や目下の務めだとは思っていない人もいるようですね。だから、注意すると反論されることもあるとか。

たたまた電話を事例に挙げましたが、電話だけでなく、社会生活の諸々において、必ずしも教えてあげない先輩上司が悪いのでなく、教えても聞く耳を持たない若者がいる。価値観の断絶があるような気がします。断絶なんて、手垢の付いた言葉、あまり使いたくありませんでしたが。

そんな社会の空気感も、この映画を生んだ背景にあるのかもしれません。

追記Ⅲ ( 映画「哲人王~李登輝対話篇~」 ) 
2019/7/23 9:10 by さくらんぼ

映画の冒頭、少年の祖父が出てきます。祖父は認知症気味のようで、部屋の障子に指で穴をあけ、外をのぞきたがるのです。だから穴だらけ。

還暦に赤いちゃんちゃんこを着て祝うのは、(人生50年の昔なら)そろそろ赤ちゃん返りする頃だからと言われていますね。それを思いだすようなエピソードでした。

そして、映画のラストには、少年も祖父とおなじように、(先日、祖母と一緒に張り替えたばかりの)障子に穴をあけ、外をのぞきます。

何を言いたいのかと言えば、少年も祖父も、単純なあかちゃんだから、欲望に正直で、自分の願いを聞いてくれない存在は、イエス様であっても認めないわけです。

チラシの写真には、前髪が長くて、前が見えない少年の上半身がアップになっています。まさに盲目で、迷える子羊ですね。

( もちろん、少年に特殊な才能があれば、世間一般的には変わりものであっても、その才能で世界に評価されることもあるでしょう。)

では、少年と祖父との中間にある人たちとは誰でしょう。

その代表を一人挙げるならば、映画「哲人王~李登輝対話篇~」に出てくる、李登輝さんがそうですね。

苦悩の中、色々な哲学書を読み、実践し、そして彼がたどり着いたのがキリスト教でした。たぶん彼は幸せなクリスチャンなのです。

この二本の映画は、両方観ると、より面白いと思います。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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