見出し画像

#ネタバレ 映画「がんばっていきまっしょい」

「がんばっていきまっしょい」
1998年作品
空き家になると、心も朽ちる
2015/5/20 13:46 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

幼いころに両親と出かけた記憶があります。

映画館とか、盛り場とか、神社とか、うどん屋とか…

大人になった今、あらためて、それを思いだすと、どれも「さみしい」記憶ばかり。

もちろん両親は隣にいました。

でも、なぜだろう。木枯しが吹くような、さむざむとした気持ちの記憶ばかりなのです。

もちろん迷子になって泣いたこともありました。

一人でお留守番をしたこともありました。

でも、それとは違うさみしさなのです。

フォークの吉田拓郎さんに「僕の唄はサヨナラだけ」という歌があります。

その歌詞の中に…

「二人でどこへ行っても 一人と一人じゃないか」

というフレーズがありました。

あの歌詞の意味が、幼いころの、私のさみしさの理由でもあったのです。

つまり、物理的に両親と一緒でも、心は、二人と一人だったという事です。

ずっと…。

映画「がんばっていきまっしょい」では、冒頭に、朽ちたボートハウスが出てきます。

そこに貼ってある一枚の古い写真。主人公・悦子たちの写真でした。

場面転換して、主人公・悦子本人が堤防に腰かけてボートの練習を見ているシーンになります。

後ろ姿で、健さんみたいに、かなしみを語っていました。

「部屋」というのは「心」の記号。

あの朽ちたボートハウスは、悦子の心も表していました。

もちろん悦子には家族がいます。

はた目には順風満帆の家庭です。

でも、彼女がプチ家出をしても、だれも家出したことにさえ気がつかない。

家出から帰ってからの描写もありますが、それも寒いのです。

だれも、彼女の心には入ろうとしない。

まるで、不愛想な、アパートの隣人みたい。

それがどうした、と言われるかもしれませんが、少女にとっては、いや、子供にとっては、心の通う人が誰もいない、つまり、彼女の心の奥座敷に訪れて、あたたかい心の交流をしてくれる人が誰もいないというのは大変問題なことなのです。

きっと、彼女は物心ついた時からそうだった。

だから、自分はさみしいのか、さみしくないのか、それさえ、自覚できなかったのかもしれない。

一年中冬なら、冬であることさえ分からないから。

でも、何か違う…うまく、ことばにできないけど、このままでは朽ち果ててしまう。

そのとき彼女の心に非常灯が点滅し、エンジンが全力起動したのです。

スポーツにもいろんな種類があります。

弓道みたいに一人で、まるで己の精神世界を探求するが如きもの。

ボート部みたいにグループでの戦いをするものもあります。

悦子はボート部を選びました。

これは新しい家族(部員)と新しい家庭(ボートハウス)を作る物語。

ボート部員は悦子のファミリーになったのです。

あたたかい家族がいなかった悦子に、はじめて本物の家族が出来たのでした。

映画「がんばっていきまっしょい」の評判の良さは、かねてから聞いていましたが、想像以上のできばえでした。

ただ…

せっかく女子高生たちがたっぷり美脚を披露してくれても、ブルマ!?姿では色気がありません。

それどころか、いいオジサンが、のぞき見してるみたいな罪深い気分になる。

同年代でも、AKB48みたいに短パンの上に綺麗なミニスカートをはけば、ぜんぜん違うイメージなり、安心して、そのショービジネスを見ていられたのだけれど…

★★★★★

追記 ( 「リーチェwithペンギンズ」さん ) 
2015/11/16 6:37 by さくらんぼ

映画「がんばっていきまっしょい」は音楽も素晴らしかった。

名前から、誰か、欧米人のフォークシンガーだと思っていましたが、今、調べたら韓国人のようで驚きました。名前を「リーチェwithペンギンズ」さんと言います。

今でも、なつかしく、あたたかなメロディーの一部が頭の中をくるくる回っています。どこか映画「タイタニック」のケルト・ミュージックみたいなものが。

映画「がんばっていきまっしょい」は、間違いなく音楽を味わう映画でもあります。あの音楽が映画の効果を高めていました。

映画館で観られる機会のある方は、一食抜いてでも、大画面と良い音で、体験することをお勧めします。

すでに映像はコレクションしましたが、珍しく、サントラも欲しくなりました。劇場でもし売っていたら買って帰りたいぐらい。

追記Ⅱ ( SFファンタジー ) 
2015/11/16 9:20 by さくらんぼ

>そのとき彼女の心に非常灯が点滅し、エンジンが全力起動したのです。

映画の冒頭に一部描かれていますが、主人公・悦子は、その「生い立ち」から「自信の無い子」に育って(洗脳されて)いたようです。

①そんな自信の無い女子高生が、先生に直訴してでも「女子ボート部を作ることに奮闘する」のは、正直に言うと、リアリティがありません。あえて言うと、その言い訳が「ガンコ女子に性格設定されていること」なのかもしれませんが。

ほんとうは、彼女がおばさんになり、「私、やっぱり何か変だわ!」と気がついてから、なにかしらの再起動をするものだと思います。そして「もっと早く再起動しておけばよかったわ」と後悔するものだと思うのです。

だから、この映画「がんばっていきまっしょい」は、それを女子高生の時点で再起動したらどうなったか、を描いていた、ある意味SF。

つまり、映画「日本沈没」と同じなのです。

あの映画では、100万年以上という時間を経て、プレートが日本の下に沈み込み、日本も沈没するという理論を、たった一年ぐらいの話に短縮していたと記憶しています。

話を映画「がんばっていきまっしょい」に戻しますが、②たとえボート部を強引に作り、疑似家族を獲得したと思っても、「理想的な家族の体験」が無い悦子には、やはり、理想的な疑似家族を獲得する事は困難だと思います。「だから3年間で終わってしまう夢」にふさわしいのでしょう。

もちろん例外もありましょうが、両親の離婚や、ネグレクト、DVなどに苦しんだ子供が、早く独立して、結婚し、笑いの絶えない温かい家庭を作りたいと願っても、けっきょく自分も両親と似たような事をくりかえしてしまいがちだと言われる、そんなリアルと同じように。

だから、この映画「がんばっていきまっしょい」は、SFファンタジーでもあるのでしょう。

でも、それでも観ておく価値のある映画です。アートとしても、人生の指針としても。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?