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#ネタバレ 映画「武士道シックスティーン」

「武士道シックスティーン」
2010年作品
野草でも花が咲けば注目される
2010/5/14 18:26 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

映画「武士道シックスティーン」のチラシを見ると、原っぱに、主役の二人が剣道着姿で立っていました。

周りには野草が生え、花をつけているものもあります。たとえ野草でも花が咲いていれば注目され、蝶はとまり、大人たちは写真の被写体に選び、子供たちは摘み草するかもしれません。

そして主役の二人、香織は少々怖い顔をして立っているのに対し、早苗は微笑んでいます。さらに早苗は香織よりも一歩前に出ています。きっと二人は野草に例えられているのでしょう。シックスティーンを生き生きと謳歌している早苗は花咲く野草の暗喩なのかもしれません。

私もスポーツをしているので分かりますが、本気で上達を目指しているのなら、スポーツ以外の多くのものを捨てないと十分な練習時間が取れないのです。楽器の練習でも同じですね。

それで本人が微笑みの中に生きていられれば良いのですが、香織の様に消えたら、一度は立ち止まって進路を再考してみても良いのかも知れません。

早苗のお父さんの仕事は光物(ひかりもの)の研究だったように記憶しています。その光(花)をめざして同僚があつまり、盗られてしまったのではなかったでしょうか。

そして、立ち直ったお父さんは、こんどは3Dの再生装置を作りました。スターウォーズのレイア姫を思い出すようなマシンは、花瓶に入った花を思わせるものでした。スターウォーズでも、あの花が咲いたから、見た人が心を動かされて戦いに挑んだのでしょう。文字が羅列してあるだけの手紙だけなら、読み捨てられていたかもしれません。

シックスティーンはシックスティーンらしく、定年退職者は定年退職者らしく、微笑みの中で生きて行けたら良いと思います。それが、自然から学んだ、幸運を呼び込むための秘訣なのかも知れません。そういえばお爺さんの理想に「好々爺」というのもありました。

女性の剣道映画は初めて観ました。なかなか新鮮で良かったと思います。

★★★☆

追記 ( 恋の歓喜は、あふれ出る ) 
2015/7/16 5:58 by さくらんぼ

私は、今までの人生で、たぶん2回、幸福の絶頂にいたことがあります。

2回ともガールフレンドができたと錯覚した瞬間でした。

その時の歓喜な気分は、今でもよく覚えています。体の中の「歓喜が満タン」になり、耳や目、鼻や口など、いたるところから溢れ出て来るのです。

よく「悲しみの感情は人を病気にし、喜びの感情は病気を癒す」とか言われますが、あの時は、それを実感をもって、想像することができました。

あんな歓喜がしばらく継続したら、それこそ、潰瘍であろうと、癌であろうと、治るのだと確信できるほどに。

やがて、恋の夢は破れ、私の幸福もすぐに終わりましたが…。

追記Ⅱ ( 公園で草木に教わること ) 
2015/7/16 6:01 by さくらんぼ

では、恋以外の幸福は、何で得られるのか。

朝の公園で、体操や、ウオーキングをしているときは、たいてい幸福感が得られます。

体を動かす爽快感、それだけではありません。

毎日のように公園へ行くことは、公園にある「自然の定点観測」をしているのに等しいのです。

春夏秋冬が、木々の緑を通して実感できます。

四季の移ろいの中に、諸行無常などの、般若心境を感じることができます。

新緑が芽生え、成長することに、自分の子や孫の成長を見つめているような喜びを感じ、

秋に紅葉して散っていく姿に、己の人生を重ねて、悟りなどと言うつもりはありませんが、良い意味での、老いの諦め、を得ることができます。

みんな、みんな、移ろっていくのです。

例外はありません。

散り、そしてまた、復活するのです。

私は仏教で言う、来世(生まれ変わり)を信じています。

私たちは、またいつか、過ぎ去った青春を体験出来ます。

私は、今からそれが楽しみで、少しワクワクしています。

追記Ⅲ ( 幸福とは何か ) 
2015/7/16 6:05 by さくらんぼ

ところで、人間の幸福は、次のようにも分析されています。

ご存じ「マズローの欲求段階説」です。

知らない方のために、簡単に言うと、基本的人間の欲求には、5段階あって、内3つは実現が難しいのです(下記の表の3~5のことです)。

定年退職したり、引きこもったりすると、その獲得が困難になります。

『  自己実現理論(じこじつげんりろん)とは、アメリカ合衆国の心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。また、これは、「マズローの欲求段階説」とも称される。

マズローの、人間の基本的欲求を低次から述べると、以下の通りである。

1.生理的欲求 (Physiological needs)

2.安全の欲求 (Safety needs)

3.社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)

4.承認(尊重)の欲求 (Esteem)

5.自己実現の欲求 (Self-actualization)  』

( Wikipediaより抜粋 )

追記Ⅳ ( 3つの幸福はスポーツでも獲得できる ) 
2015/7/16 6:09 by さくらんぼ

3つが足りない方は…たとえばスポーツを始めましょう。

スポーツクラブに入れば、(3.社会的欲求 / 所属と愛の欲求)を満たせます(所属先と、友人知人が出来ますから)。

上達すれば(だれでも練習すればそれなりに上達しますから)、仲間からの( 4.承認(尊重)の欲求 )を満たせます。

日々練習することで(5.自己実現の欲求 )を満たせます(努力とは幸福感でもありますから)。

歴史的にも、車いすのアーチェリー選手が、その良い例です。

映画「最強のふたり」の、私のレビュー本文に、詳しく書きましたのでご覧ください。

追記Ⅴ ( スポーツにはこんな選び方もある )
2015/7/16 6:19 by さくらんぼ

スポーツには健康、娯楽の他に、3つのメリットがあることをお話ししました。

それでは、どんなスポーツを選んだら良いのか。

自分に合うスポーツとは。

このような分け方もあります。

A、剣道、柔道、空手、など対戦型(肉食系)⇔ 弓道、アーチェリー、マラソンなどの自己鍛錬型(草食系)

B、サッカー、ラグビー、バレーボールなど団体型 ⇔ 弓道、アーチェリー、マラソンなどの個人型

まずAを見てください、例えば柔道をしている人は、きっと弓道はつまらないというでしょう。逆も同じ、これは人間の性格によります。自分の性格で簡単に選択できます。

次にBを見てください。団体型では、チーム一丸となることが必要で、会社で働くようなキチンとした参加態度が必要です。でも、個人型では、練習時間・内容は、自分ひとりで決められますから、忙しい人でも気楽です。これも簡単にどちらかを選択できます。

でも、とあるボーリング同好会では、本来個人型であるのに、チーム戦をするときに欠席すると、罰則的な意味で〇〇円徴収されるのだとか。そのお金は忘年会の費用などに加算されるようですが。自由気ままに練習したい人は、あらかじめ、そこのルールを調べることは大切ですね。

追記Ⅵ ( 生涯の友人知人が出来る ) 
2015/7/16 6:25 by さくらんぼ

映画「武士道シックスティーン」では、主人公の二人(親友)は、試合に出ることで、日本中どこに住んでいようと、試合日には会うことができると喜んでいました。

スポーツクラブに所属して、スポーツをすると、現役でいる限り、定年のない、生涯を通した所属先と、友人知人ができるのです。

実は、私は学生のころから運動が苦手でした。

好きだったのは、お絵かきの時間、図画工作の時間です。

そんな私が、なぜ今、スポーツを奨励したり、絵画ではなく、文書ばかり書いているのか、自分でも良くわからないのですが、たぶん人生とはそんなもの、なのでしょう。

追記Ⅶ ( 子は思春期になると師を替える ) 
2015/9/19 18:12 by さくらんぼ

宮本武蔵は、お通に恋され、おばばには命を狙われていました。

でも武蔵は、あまり相手にせず、小次郎を追いかけていましたね。

ところが、あのときの武蔵もまた、小次郎に「お通」+「おばば」に似た感情を持っていたのだと思います。

言い換えると…

主役である武蔵の、小次郎に対する複雑系の感情を説明するために、あえて、お通と、おばばを、配したと、言えるのかもしれません。

私にも似た経験があります。

私のことを少々嫌っていたらしい人がいました。でも、私とたまたま趣味が一緒だったので、誘ってみたら、お付き合いをしてくれたのです。彼は趣味への好感を、私への好意だと、一瞬誤解したみたい。でも、1年ぐらいの後、突然違和感に目覚めたらしく、無言で離れていきました。

だから、そう言うことは、あるのです。

この映画「武士道シックスティーン」は、そんな「宮本武蔵」をモチーフにしたもの、だったのかもしれません。

宮本武蔵では、武蔵と小次郎という男同士の物語でしたが、映画「武士道シックスティーン」では女同士の物語にして。

父親との繋がりが強かった子供時代の娘たちは、思春期を迎え、自我が開花し、外へと、関心を向けるようになります。そのとき、だいすきな剣道(お通の感情)と、宿敵(おばばの感情)がミックスされた相手に出会ったのです。この時、師も替わります。父から、恋人や先輩、友人などに。

ここに、思春期の不安定な感情が重なると、女性同士ですから、一過性の、レスビアン的感情もちょっぴり生まれたのかもしれません。

観てください。女性のうち一人は、男言葉で、しぐさも男性を演じていますから。そして「剣道と言えども、相手を斬るつもりで戦うんだ」と言っていますから。

この映画が面白いのは、男女ほど内面が違う2人の女性が、運命の恋人に出あった時のように、反発しつつも、離れられず、しょっちゅう喧嘩をしながらも、お互いを高めあって行くところでしょう。

そして、私や、武蔵の場合とは違い、二人は剣道への好感を、本物の友情へと、昇華させることに、成功したのでした。

本当にうらやましく、良い映画でした。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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