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#ネタバレ 映画「モリのいる場所」

「モリのいる場所」
2018年作品
複数の視点
2018/5/24 8:02 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

朝食のテーブルを、街にたとえて写真に撮れば、それは鳥瞰図のようになります。しかし、カメラをテーブルに置いて撮れば、人間の目線に。さらに、床に置けばネズミ目線になります。

この映画「モリのいる場所」は、そんな目線の変化で、見えてくるものが、したがって価値観までも違ってくる有様を、描いていたように思います。

私たちは、常に複数の視点を持つことが必要なのでしょう。

★★★☆

追記 ( 「8時だョ!全員集合」 )
2018/5/24 8:29 by さくらんぼ

この映画のほぼすべては、“仙人“と呼ばれた洋画家・熊谷守一さんの、家と庭での話です。

しかしこれは、往年の人気お笑いバラエティ番組、ザ・ドリフターズ主演の「8時だョ!全員集合」への、オマージュになっているのかもしれません。

それは、時代背景でもありますが、ザ・ドリフターズが得意としていたコントに、「長屋もの」のような、家と庭で行われる、伝説のドタバタ喜劇があり、私も観ましたが、それがまた、たいそう面白かったせいもあるのでしょう。もし劇場で観られた方がありましたら、一生の宝。

この映画「モリのいる場所」は、それをモチーフに、上品に、ひたすら上品に、作り変えたお話しのような気もします。

追記Ⅱ ( 昭和天皇 ) 
2018/5/24 8:44 by さくらんぼ

映画が始まると、いきなり、メガネをかけた人の顔がアップになります。

とても品の良い、スーツ姿のご年配です。

そのお方は、何人ものお供を連れ、貸し切りで、熊谷守一さんの物らしい、一枚の絵をご覧になり、しばらく凝視されたあと、「これは何歳児の絵ですか?」、みたいなご質問をされたのです。

側近は、答えに困り、恐縮して、頭を下げるしかありませんでした。

もうお気づきだと思いますが、私にも、あのお方は、昭和天皇としか思えませんでした。

だから、この映画の、静謐なトーンもお分かりいただけると思います。

追記Ⅲ ( 2歳児の視点 ) 
2018/5/24 8:47 by さくらんぼ

「 『楽しい』をつなぐ

2歳児とは、考えてから行動するのではなく、行動しながら考え、小さな楽しみをつなぎ合わせて過ごす人たちなのです。例えば、散歩に行っても、すぐ『こんな所につくしんぼがある』と長い時間触って楽しんだ後、『アリがいる』と気づいて座り込んでじーと見る。」

( 2018.5.19朝日新聞(朝) 30面 「はぐくむ」 イヤイヤ期ってブラブラ期 反響編下 北海道大・川田学准教授に聞く より抜粋 )

追記Ⅳ ( だから公園に行く ) 
2018/5/24 14:48 by さくらんぼ

40代の頃、通勤途中に公園を通るたび、会社に行かずに「この花を、一時間ぐらい眺めていたい…」などと、夢想したことがあります。そんな生活に憧れていました。

だから、晩年になったら、浮世の喧騒から逃れ、家の庭で、あんな風に過ごすのも、幸せだと思います。

熊谷守一さんのような視点を持てば、「私に、この庭は広すぎる…」などと言えるのかもしれません(実際には、そんなに珍しくもない規模なのですが)。

そして、それを絵画、音楽、ブログなどに昇華して発信できれば、それも一つの天国。

追記Ⅴ ( ★ひとつ少ない理由 ) 
2018/5/24 15:16 by さくらんぼ

樹木希林さんが興味深い話をしています。私の感じていたモヤモヤを、うまく言語化してくれたような、気がしました。

「 私は『モリのいる場所』がとっても好きだけど、唯一、大丈夫かなと心配なのは、映画が裂けていないこと。つまり、役者が自らの分をわきまえていて行儀がいいのよ。台本を読み、収まるべきところに収まっている。

映画ってね、『嫌だな、あの人』と皆が思うような、ずうずうしい演技をする人が交じることで、思いがけない面白さが出ることがあるのよ。 」

( 2018.5.24 朝日新聞〈朝〉28面 「文化・文芸」 語る ー人生の贈りものー 「キラキラキラーッな山崎さんと」 役者 樹木希林〈13〉 より抜粋 )

追記Ⅵ ( アリの生活 ) 
2018/5/24 15:44 by さくらんぼ

漆黒の大宇宙の中に、天文マニアは、見えないほどの小さな星を見つけます。

無線家は、ノイズだらけの音をサーチしていても、極小の信号音の混じったノイズだけを聴き分け、(素人には区別がつかないが)受信ダイヤルの手を止めることが出来ます。

弓から放たれた矢は、水中を泳ぐ魚のごとく、クネクネとうねりながら、飛んでいきます。通常、スローモーションでしか見えないそれが、弓の選手には、肉眼でも見える瞬間があるのです。

熊谷守一さんは、庭を歩いていて、一枚の葉っぱに気づき、「おまえ…居たのか!?」と驚くシーンがありました。

それぐらいの集中と、長時間の観察があれば、「アリが歩きだす時、どの足を最初に出すか」も分かるのでしょう。映画にはそんなエピソードもありました。

追記Ⅶ ( 大人です ) 
2018/5/24 15:50 by さくらんぼ

でも、熊谷守一さんは2歳児ではありません。

子どもの絵を評価してほしいと客に言われ、「下手だ」と一言。

そして、「上手は伸びしろがない。だから、下手で良い」と、確かこんな言葉も付け加えました。

熊谷さんは大人です。

ただ、子どもの心を失っていないだけ。

追記Ⅷ ( 複数の視点 ) 
2018/5/25 8:45 by さくらんぼ

★が少なかった理由は他にもあります。

草木や生きものが美しくなかったからです。

私も毎日のように公園を散歩していますが、樹々が生き物のように風にそよぐ姿、陽ざしに輝く一枚の葉っぱ、体格(あるいは人相)のような枝ぶり、幹の皮に刻まれたシワと味わい深い色、根っこの張り具合、そこに生える、小人のような草一本、さえも美しいことに気づきました。

もし私が監督なら、場合によっては印象派の音楽とともに、その美をフィルムに定着させようとしたことでしょう。

もちろん熊谷守一さんが、どのような芸術世界を見ていたのか、それは本人にしか分かりません。過度な絵画的忖度は、間違いと失礼の元。

しかし映画人として、自然の美しさを、フィルムに切り取ろうと試みたはずです。

池の魚や、アリに対しても、熊谷守一さんが長時間の観察でたどり着いた境地を、カメラはアップやスローモーションなどの特殊撮影で、観客に提示することが出来るはずです。

追記Ⅸ ( 舞台劇 ) 
2018/5/26 9:29 by さくらんぼ

>しかしこれは、往年の人気お笑いバラエティ番組、ザ・ドリフターズ主演の「8時だョ!全員集合」への、オマージュになっているのかもしれません。(追記より)

実際、映画「モリのいる場所」のドリフが話題になるシーンでは、天上から金ダライが落ちてきて、ガ~ンと頭に当たりました。あれはドリフのコントそのままです。

そこまで、やるならば、この映画「モリのいる場所」も、「舞台劇」という設定だった可能性もあります。つまり、「演技は本物でも、周囲はハリボテよ!」という。

先日、他の映画のレビューで、「サンダーバード」の、メカの「汚しのリアリズム」について触れました。

しかし、熊谷守一さんの下駄に、足形のシミがほとんど無いことや、庭から戻って来た足袋の裏が、まだ真っ白だったことの「非リアリズム」、そして「草木が美しく撮られていない」ことも、「それ、舞台だから…」という結末になるのかもしれません。

追記Ⅹ ( 絵画 ) 
2018/5/26 9:55 by さくらんぼ

ネットで熊谷守一さんの絵画を拝見しました。

ホッとさせるような、日本画の匂いがします。

暖色系であり、朴訥を感じさせるような、枯れた落ち着きもありますね。

スピーカーで言えば、十分にエージングした、紙コーンのフルレンジ。

それでいて、どなたかの文章のように、高度に洗練されている。

子どもの自由で無垢な画とは違い、あれは完璧にコントロールされた大人の作品です。

スピーカー道楽の終着駅が、フルレンジだと言われている事を思いだしました。

わが家にも飾らせてもらいたいほどです。

追記11 ( 生ける絵画 ) 
2018/5/26 10:06 by さくらんぼ

あらためてチラシを見ました。

フェルトのような、とんがり帽子をかぶった熊谷守一さんが、横になり、石の上のアリを眺めている写真がありますね。

あれは熊谷守一さんの絵画から受ける「印象」を、再構成したもののような気がします。

あれこそが、この映画のクライマックスであり、「生ける絵画」だったのかもしれません。

すると、朴訥であり、裂けたところもなく、平穏、静謐なこの映画の作風は、すべて「生ける絵画」のために、必要だったのです。

監督の狙いが、やっと少し分かったような気がしました。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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