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#ネタバレ 映画「旅のおわり世界のはじまり」

「旅のおわり世界のはじまり」
2019年作品
「桃栗三年柿八年」
2019/7/4 16:30 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

人々を絶望に突き落とした映画「CURE/キュア」を作った監督の最新作です。

それが怪物・前田敦子さんをヒロインにしたという事で、どんな怪作かと思っていましたが、想像してたよりも、良い意味で、ずっと常識的な作品でした。

考えてみれば、黒沢清監督は、映画「トウキョウソナタ」という感動作も作っているのですから、この映画「旅のおわり世界のはじまり」が生まれても不思議ではありませんね。

哀しくないのに、なぜか少し涙ぐみました。

★★★★☆

追記 ( 映画「カメラを止めるな!」 ) 
2019/7/4 18:13 by さくらんぼ

を連想しました。

オマージュの可能性もありますが、

「え、もう!」という気もして、

現段階では良く分かりません。

追記Ⅱ ( 旅の出会い ) 
2019/7/5 6:46 by さくらんぼ

私は、ネットで(観たい作品ではなく)「観ても良い作品リスト」を作ってから街へ出かけます。いつも5~15作品ぐらいUPします。

そして、散歩の途中、上映開始時刻の合致した作品に飛びこむのです。

ですから、チケットを買う瞬間まで、その日、何を観るのか自分でも分かりません。

無鉄砲のように見えるかもしれませんが、半分偶然に身を任せる事で、経験的に、意外な掘り出し物に出会えることを知りました(逆に言うと、前々から期待して行った作品が、それほどでもなかったという事も少なくないのです)。

今回もリストとチケット売り場の電光掲示板を見て、時刻の合う別の作品を観ることに決めましたが、並んでいた私の直前で、残席僅かの△が、満席の×になってしまったのです。その瞬間を目撃することは初めてだったので、とてもショックでした。

ですから、急きょ、その直後に始まるこの映画「旅のおわり世界のはじまり」のチケットを買う事にしたのです。

座席はガラガラでした。

しかし、翌日の今日、ネットで再確認してみましたら、映画「旅のおわり世界のはじまり」も昨日で終わりでした。今日からは近県では上映していません。

それを知って、ダブルのショックを受けています。

偶然が無ければ、こんな良い作品を見逃す所だったという怯えと、意外なほど早く上映が終了してしまったことへの無常観にです。

追記Ⅲ ( 「桃栗三年柿八年」 ) 
2019/7/5 9:45 by さくらんぼ

映画「カメラを止めるな!」 は、映画「旅のおわり世界のはじまり」の裏話ですから、まずは表からお話したいと思います。

この映画「旅のおわり世界のはじまり」は、映画「千と千尋の神隠し」と、NHK朝ドラ「おしん」の、中間に置かれるような作品だと思います。

三作品とも、生きる力というか、仕事への、人生への向き合い方を語っていたように思います。

私は新卒で就職した翌日、先輩上司の顔を覚える前に、早くも会社に、実社会に怯え、退職したくなりました。

昨今の若者は、我慢や辛抱が足りず、すぐに心も折れ、転・退職を希望するとも言われているようですが、本当にそうなら、当時の私と少し似ている所があると思います。

そんな私に言えた義理ではありませんが、転・退職をする勇気もなく、ずるずると勤め上げた私の人生観でも、 やはり「旅のおわりには世界のはじまりがあった」のです。

この映画「旅のおわり世界のはじまり」のヒロイン・葉子(前田敦子さん)は、華麗な旅番組のレポーターをしていますが、その光は映像の中だけに残るもので、楽屋裏では、さみしさの中、我慢と辛抱と不条理の世界に生きていました。

これは、私の人生観ともだいたい合致しています。

言いかえると、ここで描かれている旅は、(ありふれた)人生そのものを表しているのでしょう。

しかし、そんな人生にも「光」はあります。それは、最後までそこに立っていた者だけが観ることが出来るのかもしれません。ヒロインの静かに燃えるようなプロ根性に括目です。

映画のラストに前田敦子さんの歌が入るのは良く知られていると思いますが、感動はその直前のシーンにあります。ヒロインには苦労の結晶でも、部外者には意味不明のワンシーン。そして歌は、ヒロインの歓喜なのでしょう。

追記Ⅳ ( 映画「カメラを止めるな!」 ② ) 
2019/7/5 9:53 by さくらんぼ

(  以下から、随時、映画「映画「カメラを止めるな!」のネタバレにもふれていきますので、未観の方はご注意ください。)

ちなみに、映画「カメラを止めるな!」も、ゾンビ映画のスタイル借りて、仕事への、人生への向き合い方を語っていたように思います。

追記Ⅴ ( 「桃栗三年柿八年」 ② ) 
2019/7/5 15:47 by さくらんぼ

ウズベキスタンで撮影中、ハンディカメラを持った葉子が、一人道に迷い、撮影禁止区域に紛れ込みました。そして警備員に見つかったのです。

現地語の分らない葉子は、「NO、NO」と叫んで逃げだします。反射的に追いかける警備員。途中でカメラを捨てますが、とうとう捕まってしまいました。

事情聴取を受ける葉子。

警察は言います。

「なぜ、逃げたのですか」。

「あなたが逃げたから、私たちは追いかけたのです」。

「話し合わなければ、お互いに理解できません」。

そして、最後には釈放してくれました。

警察は「仕事や、人生」の記号だったのだと思います。

追記Ⅵ ( 「桃栗三年柿八年」 ③ ) 
2019/7/5 16:14 by さくらんぼ

ウィキペディアによると、どこまで手伝ったのかは諸説あるようですが、日本人捕虜の手が入っていることは間違いないようで、映画でもそれを称えるシーンが、ウズベキスタン人通訳の口からありました。

これも警察同様、「仕事や、人生」に対する姿勢の記号ですね。

「 1966年4月26日のタシュケント地震では、78,000棟の建物が倒壊するもナヴォイ劇場は無傷であり[5]、市民達の避難場所としても機能した。」

( ウィキペディア 「ナヴォイ劇場」概要より抜粋 )

追記Ⅶ ( 黒沢清監督の真骨頂か ) 
2019/7/5 22:06 by さくらんぼ

ラスト、歌を歌い終えた直後、葉子の顔がアップになります。それも、感覚的には5~10秒ぐらい有ったような。かなり長いです。

それは無表情に近く、私には歓喜には見えませんでした。

あの表情は何を語っていたのか。

実は、歌のシーンは見晴らしの良い山の上でした。映画「サウンド・オブ・ミュージック」を連想するような場所です。

地元の人から怪獣!?(例えば「雪男」みたいな)を見たという話を聞いて、ビデオの撮れ高が少なかったので、デマを承知で、撮影に出かけたのでした。

その途中、スタッフは休憩をし、葉子だけが一人、先へ行ったのです。

そして葉子は歌ったわけですが、

その直後、遠くにいた怪獣を目撃したのではないでしょうか。

まだ危険な距離ではないので、恐怖の表情はしていませんが、不安の中フリーズしている。

この映画が、黒沢清監督の作品である事を考えると(そして、もし、あれのオマージュなら)、そんな展開であっても不思議ではないと思うのです。

追記Ⅷ ( 映画「カメラを止めるな!」 ③ ) 
2019/7/6 11:47 by さくらんぼ

ハンディカメラを持った葉子が、なぜ一人道に迷ったのか。

実は直前まで、そんな葉子を撮影するスタッフが、後ろに数人いたのです。しかし途中で、「このへんでやめようか!」とカメラを止めてしまいました。

ところが、それが聞こえなかった葉子は、一人、どんどん先へ進んでしまったのです。スタッフは葉子を追いかけましたが、見失ってしまいました。これなど、カメラを止めなければ起こらなかったトラブルです。

この映画「旅のおわり世界のはじまり」が、映画「カメラを止めるな!」を連想すると書きました。

なぜ連想するのか。

観てのとおり、両方とも(血のりに染まったシャツではないけれど、赤っぽい服で短パンの)女性ヒロインを撮影する映画なのです。そして「カメラを止める、止めない」という点も同じです。

後は、両方のシナリオの要素を細かく比較していくわけですが、今は止めておきます。もし興味のある方はご自分で楽しんでみて下さい。

追記Ⅸ ( 「愛の讃歌」 ) 
2019/7/6 22:31 by さくらんぼ

「 日本とウズベキスタンが、1992年1月26日に正式に国交を樹立してから25年が経ち、日本人が建設に関わったナヴォイ劇場が、1947年10月の完成から70周年を迎えたことを記念した両国の共同製作企画となる。」

( ウィキペディア 「旅のおわり世界のはじまり」 概要より抜粋 )

映画の後半、ウズベキスタンのTVが、東京湾岸のコンビナート大火災を映しだします。

偶然それを見つけ、TVにしがみつくヒロイン・葉子。葉子の彼は、東京の「海の消防隊」にいます。

すぐにケータイで彼の安否を確認しようとしますが、なかなか繋がらない。何分もかかってやっと無事が確認でき、安堵する葉子。

この大火災と消防隊は、(三丁目ではない)映画「オールウェイズ」の、山火事と消防隊にも符合していますね。

つまり、どちらの映画も、火災は「恋の炎」の記号だということです。

さらに、映画「オールウェイズ」で流れた印象的な曲が「煙が目にしみる」。

こちらの映画「旅のおわり世界のはじまり」では、(「あなたの燃える手で あたしを抱きしめて…」でおなじみの)」「愛の讃歌」でした。

ちなみに、なぜ「海」なのか。

それは、日本が島国であるのに対して、ウズベキスタンは海のない国だからでしょう。二つで一対になるという、友好の意味が込められていたのだと思います。

追記Ⅹ ( 「怪獣」か「恋」か ) 
2019/7/7 9:23 by さくらんぼ

>そして葉子は歌ったわけですが、
>その直後、遠くにいた怪獣を目撃したのではないでしょうか。
>まだ危険な距離ではないので、恐怖の表情はしていませんが、不安の中フリーズしている。(追記Ⅶより)

これを書いた時は、まだ「東京湾岸のコンビナート大火災」の意味も、「愛の賛歌」の意味も、私は理解していませんでした。でも、二つの意味が分かってから考えると、少し違った解釈も成り立ちます。

葉子の無表情に近い顔は、東京にいる彼を想う表情だったのかもしれません。

順を追って葉子の感情を書くならば、

山で〇〇を見つけた葉子は歓喜する。→ そのエネルギーが「愛の賛歌」を歌わせる。→ 歌い終わって彼がいっそう恋しくなり、日本の方角を眺めている。→ 無表情に近くなる。

といったところでしょうか。

「怪獣」か「恋」かは、観る者に委ねられているのかもしれませんが、今の私は「恋」が勝っているように思います。

追記11 ( 「雪地蔵」 ) 
2019/7/7 9:45 by さくらんぼ

>山で〇〇を見つけた葉子は歓喜する。 … (追記Ⅹより)

ところで、山で見つけた〇〇とは何でしょう。

それは葉子が企画した仕事の成果の一つですが、ほんとうに些細なものです。

例えて言うと、それは日本昔ばなしの「雪地蔵」で、「農民がお地蔵さんにしてあげ美談みたいなもの」。そして、それが実ったのです。

仕事をするうえで、歴史に残る偉業を達成する人もいらっしゃいます。それは素晴らしいことですが、大多数の人たちは、一人前の仕事が出来るようになって、お客さんに(同僚・上司に)喜んでもらえたとか、そんな些細なことに、日々の喜びを見出して生きているのだと思います。

私が、自らの人生を振り返っても「旅のおわりには世界のはじまりあった」と書いたのは、つらい道でも歩いていけば、多くは、そんな喜びが待っていたという意味です。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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