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誰かのためにいきること

誰かのために生きるって、若い時の自分は

「自己犠牲」だと思ってた。

もしかするとそれを他人から強いられて、しかたなくやってきた人は多いんじゃないかな。団塊世代、とかね。だけど本当は違う。全く真逆なんだと最近思う。そして当たり前なんだけど、決してこれは崇高な悟りとか、スゴイ人ではないっていうことで。自己犠牲なんて見返り求めてやることだから絶対にアカン。

だけど、人間だから多少なりとも見返りを求めて行動する。そういう生き物だもんね。知恵を使って、楽をしようとする生き物だから。

そういう生き物が誰かのために生きようとすると、無理が生じるから、だから、スゴイ人だとか、特別な存在、神?みたいな宗教的構図が生まれたんじゃないかな。だけど、それは絶対にあり得ない。

だって、そもそも人間って

誰かのためにいきるようにプログラミングされているんだなって思ったから。

だからね、逆に、誰かのために生きようって思考してしまうと、おかしくなるんだなあって。

いや人間って面白いね。

もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)