見出し画像

アメリカン・ポップス・クロニクル Extra Edition British Pop #01

ジョー・ミークは、1929年4月5日、ロバート・ジョージ・ミークとして生まれました。同年代にはファッツ・ドミノ、バート・バーンズ、ベリー・ゴーディ Jr.、レイ・チャールズなどがいます。

グロスターシャー州ニューエントの農家の家庭に育ったロバート・ジョージは、母親のビディによって4歳になるまで女の子の洋服を着せられて育ち、ほかの兄弟達とは違い、外で遊ぶというよりは家の中でラジオを聴いて過ごすことが多く、やがて電子工学に興味を持ち始め、その勉強と実験に多くの時間を費やしていました。独学で回路やラジオを作るようになっていき、その成果物としては、例えば家業のさくらんぼ農園に鳥よけのスピーカーを設置してみたり、地元では初となるテレビを設置したりしていました。

ジョー・ミークは18歳で英国空軍に入隊して、レーダー技師になった時に、彼が学んでいたことが役に立ち、テクノロジーと宇宙への憧れを強くしました。1950年代初めに、彼はミッドランド電力公社に勤務して、会社の資源を利用してディスクカッターを手に入れて、音楽制作への興味が深まっていき、最初のレコードを制作しています。

50年代半ば、ジョー・ミークは音楽プロデューサーを夢見て、ロンドンに移り住み、IBCスタジオでスタッフ・エンジニアとして働き始めました。彼が最初に手掛けたレコードは、ハンフリー・リッテルトンの"Bad Penny Blues"('56)で、ミークは独自の判断でピアノとドラムの音にコンプレッションをかけて、不自然な音で録音したこの曲は、リッテルトン唯一のトップ10ヒットになりました。

50年代末には、ジョー・ミークはエンジニアとして独立して、ジャズやカリプソのトップ20ヒット曲を数多く手掛けていて、その中にはポピュラー歌手のゲイリー・ミラーやマイク・フレイザー、バンドリーダーのケニー・グラハムの楽曲などがありました。58年には、ジョー・ミークが作曲して、エディ・シルバーが歌った"Put a Ring on Her Finger"をレス・ポールが聞きつけて、レス・ポールとメアリー・フォードが"Put a Ring on My Finger"と改題して歌い、ミークの名がアメリカのチャートに初登場、全米32位のヒットになっていました。

1959年、ロンドン北部の3階建てアパートに引っ越したジョー・ミークは、レコーディング機材で部屋を埋め尽くしました。ミークは新しいビジョン『I Here a New World : An Outer Space Music Fantasy』に取り掛かり、実験的なサウンドと生き生きとしたポップのミックスを表現するために、スキッフル・バンドのロード・フリーマン&ザ・ブルーメンと組んで、自宅スタジオの立体音響効果や水道の排水音など様々なテクニックを使って録音しました。この作品はステレオ機器の販売店のテスト用レコードとして、自身のレーベルであるトライアンフ・レコードからEP盤がリリースされました。

彼のレーベルのトライアンフ・レコードは、1年も経たずに閉じましたが、その間、歌手兼俳優のマイケル・コックスの"Angela Jones"は8位、フリー・レッカーズの"Green Jeans"は23位、アメリカの俳優ジョージ・チャキリスの"Heart of a Teenage Girl"は49位を記録しました。

ミークは自身のプロダクション会社RGM Sound Ltd.を設立して、自身のスタジオではオーバーダビングやマイキングの工夫など画期的な録音技術を開発して、それらはやがてレコーディング業界の標準的な手法となっていきました。圧縮、エコー、リバーブ、特殊な音源を使った奇想天外な実験により、独自のスタイルを確立していきました。ミークは、この新しいスタジオで録音したジョン・レイトンの"Johnny Remember Me"('61)で最初のNo.1ヒットを飛ばしました。

同年秋には、ジョン・レイトンの"Wild Wind"が引き続きトップ10入りし、全英2位に輝きました。また同じ頃にリリースした、ミークがお気に入りだったバディ・ホリーを讃えた、マイク・ベリーとアウトローズの"Tribute to Buddy Holly"は24位という成績でしたが、BBCはこの曲を「病的だ」という理由で放送禁止となっています。

1962年9月、ジョー・ミークはトルネイドースの"Telstar"で最大の成功を収めました。トルネイドースが録音したこの宇宙時代へのラブレターは、ミークの大胆なプロダクションとアレンジの才能を示したもので、クラヴィオリンの高らかなメロディーと、けたたましい爆音の効果音が特徴的でした。"Telstar"はイギリスのシングル・チャートで首位を獲得しただけでなく、アメリカのビルボード・ホット100で首位を獲得した最初のイギリスの曲となりました。

1963年、マイク・ベリーとアウトローズの"Don't You Think it's Time"が全英6位、トルネイドースは"Telstar"の勢いそのまま、"Globetrotter"は全英5位、"Robot"、"The Ice Cream Man"はそれぞれ17位、18位とヒットが続きました。また、トルネイドースのベーシスト、ハインツ・バートのソロ作、エディ・コクランのトリビュート曲"Just Like Eddie"も全英5位とヒットしました。さらに、またしてもBBCから放送禁止となった、スクリーミング・ロード・サッチ&ザ・サヴェイジズの"Jack the Ripper"をリリースしていました。

ビートルズをはじめとする多くのブリティシュビート・グループの台頭により、ジョー・ミークのスタイルは時代遅れと思われるところでしたが、彼はうまくその流れに適応して、キャリアの中でも優れたプロデュースを行いました。その代表的なものが、ハニーカムズのデビュー・シングル"Have I the Right?"で、64年6月にパイ・レコードからリリースされ、イギリス、カナダ、オーストラリア、スウェーデンで1位を獲得し、ミークにとって最後のチャート・トップ作品となりました。全米ポップでも5位を記録しました。

65年初頭、ジョー・ミークはRGM Sound Ltd.をミークスビル・サウンドと名称を変えて、より幅広い音楽スタイルの楽曲を発表し続けました。ハインツ&ワイルド・ボーイズがスキッフル・シンガーの代表であるロニー・ドネガンもカバーしていた"Diggin' My Potatoes"を49位に。ヒット曲はありませんでしたが、滑らかな歌声が印象的な女性シンガーのグレンダ・コリンズもプロデュースしていました。彼のフリークビート、R&Bへの傾倒は、デヴィッド・ジョン&ザ・ムードの"Bring It to Jerome"やビート・グループのThe Syndicatsの"Crawdaddy Simone"などにみられます。

66年、EMIの会長のジョセフ・ロックウッド卿が、ジョー・ミークにレーベルでの仕事を依頼しましたが、ミークは次第に精神的、経済的にも不安定になっていき、統合失調症、双極性障害、薬物乱用との闘いになっていきました。この年のミークの録音は、バズの "You're Holding Me Down "やトルネイドースの "Do You Come Here Often? "のようなプロトパンク風の楽曲で、この頃の混乱を反映したものになっていました。

ジョー・ミークがプロデュースした最後のシングル、ライオット・スクワッドの"Gotta Be a First Time"は、1967年1月にリリースされました。この頃になると、ミークの妄想癖はピークに達していて、2月3日バディ・ホリーの18回目の命日に、散弾銃を撃ち、37歳で自らの人生を閉じました。

時が経つにつれ、ジョー・ミークと彼の音楽に対する関心は高まっていきました。77年のコンピレーション・アルバム『The Joe Meek Story』は、Joe Meek Appreciation Societyのメンバーによって編集され、このプロデューサーの紛れもないサウンドを存続させるのに役立ちました。BBCのドキュメンタリー番組「The Very Strange Story Of.... The Legendary Joe Meek』は1991年、RPMレコードから『I Hear a New World』の復刻が発売されたのと同じ年に発表されました。『An Outer Space Music Fantasy』、このアルバムは初めて完全な形で入手でき、初期のエレクトロニック・ミュージックの名作として評価されました。

(2022/07/04)

ch.7

Sunshine Pop (2022/05/05)
Genius Producer #01 (2022/05/09)
Blue Eyed Soul (2022/05/16)
Genius Producer #02 (2022/05/24)
Songwriters Series #05 (2022/06/07)
Genius Producer #03 (2022/06/16)

ch.6

1.Songwriters Series #01 (2022/03/19)
2.Songwriters Series #02 (2022/03/26)
3.Songwriters Series #03 (2022/03/31)
4.Songwriters Series #04 (2022/04/05)
5.A&M Records (2022/04/11)
6.Folk Rock 1965-69 (2022/04/17)

ch.5

1.The Boy I Love (2022/03/03)
2.Flip and Nitty (2022/03/06)
3.Tedesco and Pitman (2022/03/08)
4.Twilight Time (2022/03/10)
5.This Could Be The Night (2022/03/12)
6.1964年のNo.1ヒットソング (2022/03/15)

ch.4

1.ビートにしびれて (2022/02/13)
2.Power Blues & Sophisticated Soul (2022/02/18)
3.I'll Go Crazy (2022/02/20)
4.Do You Wanna Go With Me (2022/02/23)
5.I Got Lucky (2022/02/25)
6.The Lovin' Touch (2022/02/28)

ch.3

1.サーフビート・ゴーズ・オン (2022/01/29)
2.A Sunday Kind of Love (2022/02/01)
3.夜明け前の月光 (2022/02/03)
4.West Coast R&B (2022/02/05)
5.くよくよしないぜ (2022/02/06)
6.誰にも奪えぬこの想い (2022/02/10)

ch.2

1.シビレさせたのは誰 (2022/01/14)
2.ブロンクス・スタイル (2022/01/15)
3.ツイストが2度輝けば (2022/01/21)
4.太陽を探せ (2022/01/22)
5.1961年のNo.1 R&Bソング (2022/01/25)
6.Romancing the '60s (2022/01/27)

ch.1

1.1959年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
2,1960年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
3.1960年のヒットソング (2021/12/31)
4.インストゥルメンタル・ヒット (2022/01/04)
5.60'Sポップスの夜明け (2022/01/05)
6.R&B、ソウルミュージックの躍進 (2022/01/07)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?