「名前のないうさぎ」

 

『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』(リチャード・アダムス)について

 ずっと昔、通っていた学校のクラスに、逆立ちしてもかなわない友だちが何人もいた。魅力的で強力なリーダーシップがあったり、ちょっとおそろしいほどモテたり、何をしてもおしゃれだったり、圧倒的な行動力があったり、とにかくそういう女の子たちが身近にいた。
 付き合いは今も続いていて、用があれば一緒にごはんを食べるし、今年の夏にも集まって飲んだし、地元でばったり会うこともある。だからあの頃のようにただ舌を巻いて見つめているわけではない。それでも「すごいなぁ」という気持ちは「すごかったなぁ」という過去形にはならない。
 あの頃そういう仲間のなかにいて、私は自分がいることを「そんなに意味ないな」と思っていた。存在することに、というほど大げさな話ではない。ただ単純にクラスがうまく回っていくこととか、みんな取り組む行事での役割とかをまじめに考えると、自分にあんまり意味はなかった。その友人たちといつも一緒にいて、音楽もスポーツもファッションも本も、同じようなものに興味があって同じように楽しんでいただけに自分の足りなさ(?)は目立っていたと思うし、「これならまかせて」と言えるものがないことが自己評価の低さの決定打だった。
 そのことでいじけたりひねくれたりひがんだりしたけれど、それでも自分にも共同体のパーツとしての役割があるはずだと信じて、見つからないなりに探そうとしたのは、あるうさぎの群れのことを知っていたからだったと思う。
 丘に住むうさぎの群れは、集落に迫る危険を察知して、平和な土地を求めて旅に出る。勇敢で冷静なリーダー・ヘイズル、陽気で大胆なサブリーダー・ピグウィグ、神経質で予知能力があるファイバー。ヘイズルでもピグウィグでもファイバーでもなかったうさぎもいた。このうさぎが自分だと重ねるほどまだ自分の側に特徴を見つけることはできていなかったけれど、目立つうさぎのほかにもうさぎがいるという事実だけで十分だった。群れというのははっきりした才能や長所を持つ個体でできているのではなくて、目立たない、これといって才能の見当たらない、あるいはまだ才能の芽の出ていない個体もいて初めて群れなのだと思うことができたし、それなら自分も自分を生きているだけでなんらかの意味を群れにもたらすことができているのだろうと気楽にもなれた。
 小学校の高学年、学校の図書室の本棚からこの本を見つけて文字が小さいことも上下巻という圧倒的な長さのことも気にならずに夢中になって読んだうさぎたちの物語が、数年後、荒波のなかに意図せず入ることになった自分のことを助けてくれた。

あらすじ/『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』リチャード・アダムス 著 神宮輝夫 訳
野うさぎたちは、住んでいる場所に危険が近づいていることを察知し、平和な土地を求めて旅に出た。定住できる場所を見つけて子孫繁栄のためにメスのうさぎを探した彼らは、メスたちが権力に支配された自由のない生活に縛られていることを知る。メスを解放し、報復から仲間を守り、うさぎの群れを繁栄に導いたリーダーとその仲間たちの物語。

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