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初投稿40【前提思考実験】

前回で僕は、以下の前提条件で人と関わっている事を述べた。

関わる人物は皆、何かしらの問題や課題を抱えた「患者」だと条件付けして考える事で、
誰とでも平等に冷静に関われるように。

今回は、直近の経験からまた違う角度、
違う前提条件で、
人と関わってみようと思う。

それは、
自分に関わる全ての人が、
「親切にしてくれている」と思い込む事だ。

現在、精神科病院の給料だけでは生活が少し苦しいので、精神科ではない大きな病院で看護助手として夜勤のバイトをしている。

まだ数日しか働いていない。
でもなぜか、
看護部長、病棟の師長、指導してくれた先輩の看護助手さんからありがたい事に高く評価される事になった。

元々、派遣会社を通してのバイトだったが、
シフト上、両立が難しいので辞退した。

ところが後日連絡を頂き、直接採用して頂き、
僕のメインの仕事のシフトに合わせて
夜勤を入れてくれる事になった。
給与も派遣を通じてのものとほぼ同額で。

僕の患者さんへの対応が良かったとの事だが、
たった数日、数時間滞在していただけで、
僕のどこがそんなに良かったのか、
自分の中では理解できなかった。

そんなに深刻な人手不足なのだろうか。
それとも、何か裏があるのじゃないか。

そんな気持ちがある。

というか、
僕なんかより、周りの職員や患者さんの方が
とても僕に親切にしてくれる。

とてもありがたい。
何でこんなに親切にしてくれるのかよく分からない。

それ程、僕の心が荒んでるのかもしれない。

僕は優しくない。
どちらかと言うと、人に厳しく自分に甘い。

そんな僕が相談を持ちかけると、
親身になって聞いてくれ、
実際に動いてくれ、手助けしてくれる人たち。

バイト先だけではない。

見渡せば、身近な妻や子どもたち。
メインの職場の人たち。

話を聞いてくれるだけじゃなく、
仕事でもフォローしてくれる。

家庭でも、妻が食事を準備してくれたり、
父や母が色んな手助けをしてくれたり、
まだ小学生にも上がってない子ども達だって、
「パパ、大丈夫?」と気遣ってくれる。
仕事も休みたい時は休ませてくれる。

誰も無理強いする人はいない。
元より、そんな人とは縁を切った。

当たり前に感じていた優しさが、
そうは思えなくなった。

ふと帰宅中の車の中で気がついた。

「みんな自分のこと、きちんと愛してくれてんじゃん。」

そう思った瞬間、気が楽になった。

なーんだ。最初からそうだったんだ。

この文章を自分で書いてて、
全くまとまってないし伝わってない事は
よく分かってる。

うまく言葉にできないけれど、

これがたとえ、目にする情報でも何でも
自分を大切に思ってくれてるからの
メッセージだと思う。

たとえ、自ら調べた事でも、
自ら選んだものでも。

だから、

前提条件、前提とする気持ち、姿勢として、

相手は「親愛なる人」
良い事をもたらす為にしてくれている。
タメになる事をもたらす為に働きかけている。

そこからスタートして関わろうと思う事にした。

たとえ、それが不快な事であっても。

全てに意味をもたらすのは自分自身。
何も掴まなければ、それはただ流れていくだけの情報。

でも、真剣に自分の命を生きて使うとしたら、
何一つ無駄な事はないと思う。

今はただ、周りからそう良い風に自分の事を取り扱ってくれた事がきっかけで、
そう思うように気持ちがのってるだけかもしれない。

前提思考として、

相手を「患者」と捉えるより、
「親愛なる人」と捉えるのはハードルが高いのかもしれない。


だって、その後に不快な思いになったり、
残念な気持ちになったり、
期待して裏切られた気持ちになるかもしれない。

疑ってしまうから。
傷つくかもしれないから。

たとえ相手は何も自分の事など、
大して考えてなかったとしても、
それは無視して、
思い込んでから関わる。

それが、僕がやっている前提思考だ。

共感はできないかもしれないけれど、
記録としてまたここに残しておく。

人は生まれながらに、
愛されていると思う。

愛し愛されるために生きていると信じたい。

昔は、
愛とかラブソングとかバラードとか大嫌いだった。

カッコ悪くて反吐が出そうだった。

愛を語るのはカッコ悪い。
照れくさい。

でも、自分の内面に留めておいて、
大切だと思える人には
行動や言葉で伝えてゆけば良いと思う。

語る必要はない。ダサいから。

そんな1日。


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