執筆症

当ノート最初の記事でも書いたが、無性に文章をアウトプットしたくなる時がある。日記はそれの最たるものじゃないだろうか。
書く動機はそれぞれあれど、ペンネームも、人に見せるにあたって必要な校正もいらない。
自己満足を充足したいという目的がある、閲覧数が学校のクラスひとつ分にも満たないような作者が書くには気軽なものだ。
そうこれは日記に違いない。日記に名前は記述しないが、表に"じゆうちょう"よろしく名前書くのだし。客観的事実を踏まえても自由帳の域を出ない。

という既存のフレームワークに囚われている、第二次インターネット老人会の私はライトノベルのようにひとつの感情に対しても、冗長に色々述べちゃったりする。
自己満足を自己満足としておくべき時代はとうに終わっている。
"歌い手"の存在はそれの証左としてあるようなもので、彼らは自己満足(であるかを断じるには軽率かもしれない)の継続が一種の職業として成り立ってしまったものだ。アーティストと名乗ることをしなかった者の成れの果てである。さながらその様は社会的に見て年齢不相応と捉えられがちであるフリーターという職業を隠すために自宅警備員と名乗るようなものだ。

不毛過ぎないか、それ。素直にアーティストと名乗れ。売れないことを社会に責任転嫁して尚歌い手でなくバンドマンと名乗る人種を見習え。

別にアーティストに対してのストレスをぶつける記事ではない

ここで話は序文に戻る、いっぱい書いたからいっぱいスクロールしてくれ。
文章書きてぇ。カレー食べたくてCoCo壱行くし、ラーメン食べたくて王将行ってついでに餃子頼んじゃうし、文章書きたくてnote始める。
当然の帰結なんですよねこれ。文章書きたくてブログ形式の何かを始めたら名前がついちゃった感じ。ビックリマンだよ、私にとってはシールがおまけ。
アウトプットしないと思考が年食う速度早まるし、ついでに小説とか気分乗ったら書くかなーまで思ったりしちゃう。ボケ防止のために始めた運動が趣味になるのはそこらの爺さん婆さんにも似てる。ビックリオールドマン。これはもう執筆症と形容しても何ら差し支えない、ビックリオールドマンはクライマーズハイだしライターハイでいいでしょ。別に爺さん婆さんでなくても中年の危機だ。ミッドライフクライシス、チューハイでもいい。

あぁ、文章書きてぇ。ネタがねぇ。何なら後半の文章でネタ切れした。

衝動的に文章が飛び出る。