得ること、失うこと

少し早めに仕事を切り上げた、というか切り上げさせてもらった。
いつもはしないようなミスばかりなのを察したのかは分からないが、職場の人が気を使ってくれたからだ。

身勝手な話だと思うが、気分が落ち込んでいた。だからミスをしたなんて言い訳が、社会じゃ通用しないことは分かっている。
気分に左右されるなんて公私混同の極みだろうに、私の駄目な部分が「いいんじゃない? 人間らしいよ」なんて逃げ道を与える。
違うよ。私の生きている場所は社会であって、自分の心の中じゃないよ。

先輩の営むバーに、久しぶりに行った。
3ヶ月は連絡を取っていなかったのに、私がLINE既読無視したことなんかサラッと流して、今どうしてるの? と。
聞けば、もう付き合って5年にはなろうかという彼女と、来年には結婚しようかなんて言っていた気がする。酔っていたから、どんなシチュエーションで打ち明けよう、なんて話もしていたけど、よく覚えていない。
私には無縁の悩みだ。人を幸せにしてあげられるほどの余力なんてない。
自分のことで精一杯だ。

久しぶりに気晴らしがしたくて、カラオケボックスに入った。
よくよく思い返せば、昔はback numberが聴けなかった。以前付き合っていた彼女のことが、ふと頭の中をよぎる。
「さよなら まだ私を呼ぶ声が 頭の中をまわるまわる」なんて、当時はとてもじゃないが聴けなかった。キモい。
聴けなかったback numberも平気になり始めて、DAMで流れていた"大不正解"のPVを眺めて「カッコいいな、これ歌いたいな」だとか。
これは成長とは違う、忘却だ。

何をしていたかも、ぼやけて思い出せない。私は、私が節目と決めたときから、成長しているんだろうか。
知識の蓄積は、停滞か、ある意味で退化のようにも思う。個として伸びているように見えても、なりに生きていけば必ず知識は増えていく。それを成長と呼ぶのは、努力家と呼べる人達にはふさわしくなくて。
人間としての私は、数年前から全く成長してないのかも、なんて考えたりもする。
自問自答していると、出てくるのだ。私の中の駄目な部分が。
「いいんじゃない? 進むだけが人生じゃないよ」
そろそろ歩きたいんですよ、休憩はもう十分。

衝動的に文章が飛び出る。