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失筆病そのに

最近、風呂に長く浸かることが減った。肩こりがひどいので、ゆっくり浸かるがてらノートを見返した。

このノートを書いてから1年が経とうとしている。
書き上げた記事は1つ、クリエイティブ精神を取り戻そうという精神は1年ほど放置されていた。
また取り戻そうと思い直し、この記事に至る。
ゲームをする意欲は更に減っている、停滞することがこんなにも苦しいことだとは、思ってもみなかった。
クリエイティブ精神が尽き、ゲームをする気が朽ち果て、日常も味気ない。
私がダメ人間であるかということには最後まで目を向けない、ジョーカーじみているから。
日本人らしいなという逃げ口上は思いついた。
アレがダメならコレもダメ、画一的というか、一度やめたら何もかもダメになる。

分かってはいるのだ、一度失ったら簡単には取り戻せない。
しかし、しっかりと逃さないように力を込めなければいけないというのは辛い。
人生は長いというのに、力が足りずこぼれ落ちる意欲よどこに。

小さなことからと思ってnoteに手を付けよう、ここまで書いて筆が止まる。
ネタ切れだ。スランプ、努力不足、加齢、後ろ向きな言葉はいくらでも思いつくのだが、前向きな言葉は思い出せない。
書くのが辛いとかじゃなくて、出ない。最初からなかったかのように、人生から抜け落ちているような感覚。

ここまで読むと鬱っぽいが、探究心だとか好奇心が薄れているだけで、人生自体は普通に楽しい。
仲良くできると思ってご飯食べに行った友人がクチャラーだった、人生そういう感じである。
仲良くはしたい、向こうが振り向いてくれないだけだ、人生イズフレンド。

ここ最近の出来事は、YouTubeやらHuluやらPrime Videoを見ていただけのような気がする。
思い返せばもっと色々あるのだろうが、少なくとも、短い半生の色づいた期間と比べれば何とも薄い。YouTuberは人生を彩ってはくれない。
勉強しなければと思っても、気づけばあなたへのおすすめを巡回している。チャンネル登録は使ってない、なんかシャクだから。
無益だなと思う。
この時間は人生のいついかなる場面にも役立たないことを実感しながら見る。
面白いがそれだけだ、浪費。

どうにかしなければいけない、それも分かってるが、人生一度こうだと決まってしまうとなかなか動かせないものだ。

風呂から上がることから始めよう、のぼせる。

衝動的に文章が飛び出る。