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沖縄・辺野古を訪れる

前編 沖縄・辺野古を訪れる
後編 「座り込み」という市民劇

Ⅰ.

先週末から沖縄に行っていた。その理由は他愛もない、休暇のためで、ちょうど沖縄で見たい演劇があったので、それに合わせて。最近はLCCで交通費も安いので、ふと思い立って行くことができた。東京は成田から、飛んで那覇まで。3時間程度のフライト。

調べたら1泊1000円強のアホみたいに安い宿があり、時間はあったので3泊4日を滞在することにした。初日は昼過ぎに着き、夕方から見たかった演劇を見た。2日目は那覇を中心にありがちな観光をした(ただし雨が降った)。

そして3日目に僕は、辺野古に、埋め立てによる新基地建設反対の、座り込み抗議行動の現場に行くことにしていた。

……これは全く考えもしなかったことなのだけど、沖縄本島は(当たり前だけど)それなりに広くて、面積的には東京23区の倍はあり、那覇から辺野古まででも約66km、つまり東京都心から神奈川県は三浦半島の南端をまだ越えるくらいの距離がある。かといって電車は那覇周辺にしか走っていないので、観光はレンタカーでの車移動が基本なのだとか。

免許を持っていない僕はタクシーかバスくらいしか移動手段がなく、タクシーがありえないのは言うまでもないが、路線バスを使っても片道2時間半で1600円とかかってしまう。ところが辺野古については、沖縄平和市民連絡会が無料の(!)シャトルバスを往復で出している*とのことで、僕はこれに乗せてもらうことにした。

Ⅱ. 

受付開始の時間に合わせて朝の8時半、沖縄県庁前の県民広場に向かうと、すで担当の方2人に加えて参加者が2人集まっていた。もう少し人がいるものかと思って早めに来てみたがなんてことはなかった。僕も受付を済ませ、そのうちちらほらと人がやってくる。やがて到着したバスに乗り込んで、9時には辺野古に向かって出発した。

途中、2回ほど停車して1人ずつひろい、合計13人で辺野古に向かった。内訳は県内の人が8人、県外から5人。正直、もっと多いものだと思っていた。実際もっと多い時もあるようで、バスが満員になってしまったときもあったそうだ。16日の県民大会の前日とかだろうか? 定かではないが。

道中では、ガイドマイクを使って搭乗者の紹介が行われ、県外の5人には「今回どうして辺野古に向かうのか」というのが尋ねられた。どうして、というので僕は少し困ってしまった。理由はなくはないが、ちゃんと用意していなかった。

ある時期から僕は沖縄の景色を想像するようになった。それは大学最後の授業レポートに基地問題のことを書いて以来のことだと思う。課題は「構造的差別について具体例を挙げて述べよ」というもので、授業内で扱われた福島の避難区域設定による構造的差別に加えて、沖縄の基地問題も同じ構造を感じてレポートに書いた。僕はここ2年くらい、演劇制作における権力関係のことをずっと考えている。それが構造的差別の問題と繋がっていると感じて、以来沖縄にもシンパシーを覚えるようになった。

けれどそんな風に整理された考えを急には話せずに、うろたえながらなにか不明瞭なことを言っていた気がする。それでも僕と、もう1人大学1年生の女性が来ていて、若い人が2人も来てくれた〜というので喜んでくれた。ここでは中年未満はざっくりとみな「若い人」のようだった。

途中、伊芸SAに立ち寄りつつ、10時半には辺野古に着いた。曇り空が徐々に晴れつつあった。

Ⅲ.

辺野古、キャンプ・シュワブ。

警告の看板と有刺鉄線付きのフェンスで囲われた、ああ、これがいわゆる米軍基地。入り口に警備員が立ち、奥には入場管理のゲートが見える。隣にもう1つ入り口がある。

ゲートらしきゲートよりも厳重に守られたこちらの入り口は、土砂搬入のための入り口のようで、警備もそれゆえのものだった。座り込みはここで行われる。

ゲート前にはテントが建てられていて、座り込みを行う人たちが待機していた。那覇から我々が到着する以前から、すでに何人か集まっていたようだった。

僕の驚いたのは人数の少ないことだ。それはバスに乗る時点でも感じていた。写り切っていない部分もあるが、この写真の外にいるのも5人か6人程度で、総勢20人といったところだろうか、しかし座り込みはもう少し大人数で行われるのを想像していた。ニュースに取り上げられる写真にはもっと大人数が写っているからかもしれない。

そして座り込みは、ずっと行なっているわけでもないようだった。ずっと行うものだと思っていた。すると土砂搬入のときだけなのだろうか? じゃあ土砂搬入は今日はあるのだろうか。ないなら座り込みは行われないのだろうか? 誰かに聞けば分かったかもしれないが、「座り込みはやらないんですか?」なんて聞くのは失礼なことと思われた。何も分からないまま、ただ待っているのもなんというか退屈だったので、僕はひとり、海のほうから工事現場を見に行くことにした。

Ⅳ. 

道中、辺野古の町を見ることができた。かつては辺野古社交街、アップルタウンなどと呼ばれ、米兵の需要で賑わっていたらしい、確かにクラブかスナックのような建物が多くある、しかし今はその面影だけが残る。住む人がいなくなったわけではないようだが、多くの廃屋が見受けられた。

坂を下るとビーチが広がっている。グーグルマップには「グラスビーチ」とあった。

さらに歩くと岸辺にテントがある。浜テントと呼ばる、辺野古漁港となりのテント村で、現在はキャンプ・シュワブ前に重点を移しているものの、かつてはここが運動の拠点だった。そしてそこから東を眺めれば、目当てのものが見える。遠くに埋め立ての工事現場と、やはりそれを囲うフェンス。

浜テントにいらっしゃった方の説明によると、白く横に伸びているのが堤防で、その内側に例の土砂が投入され、どんどんと埋め立てられているらしい。ちなみに灰色の不穏に高く突っ立っているやつはアンテナ塔なのだそうだ。

この日の前日、沖縄ではジュゴンの死骸が見つかっていた*。この時もそれに絡めて、基地建設に伴う生態系への影響の説明を聞いた。ジュゴンの餌場である海藻藻場への影響や、潮流の変化が与える環境への影響など。ジュゴンを守るためにも、基地建設は阻止しなくてはならない、と。

だが、その辺の話には視点の偏りを感じてしまって、信じないとまではいかないまでも、話を聞いた後にすぐにネットを開かずにはいられなかった。ツイッターを見ればちょうどタイムラインにジュゴンの死についてのツイートがあり、「そもそもかつての乱獲で個体数が激減している状況で絶滅は不可避。今回死んだ個体も高齢だったわけで、直接の原因がなんであれ、どのみち長くは生きられなかった」と書かれてあった。それには納得できた。

ただ、沖縄県民の感じていることは、そういうことではないんだろうなとも思った。話を聞く限り、沖縄の人にとってジュゴンは「沖縄の海の象徴」であり、そこには論理や合理を越えた想いがあるのを感じた。それは良い意味でも、悪い意味でも。

……ここまで見て、正直、もう帰ろうかなと思っていた。シャトルバスは行きと帰りも出ていて、帰りは16時の出発になる。座り込みも行われるのか分からないし、16時までの4時間とかをぼーっと待っていることになるなら、運賃を払ってでも路線バスに乗ってしまって、首里城でも見てこようなんて思っていた。

ただ、送ってもらった恩もあるので、挨拶だけはしようとゲート前に戻っていると、なにやら音が、辺野古の町のほうまで、騒がしい音が聞こえてくるのに気が付いた。

大人しく待っていれば良かったものを、浜に来たのは失敗だった。僕がふらふらしているうちに、ゲート前では座り込みが始まろうとしていたのだった。

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