アムネジア

2月末、僕は兄の結婚式に出席することになった。式場はグアム。僕は実は海外に出たことがなくて、パスポートから取らなくてはならなかった。でも、2月に入っても僕はパスポートを取るのができなかった。パスポートを取りに行くのが面倒だったからだ。それで母親からかなり怒られたが、僕だって早く取りに行けるなら取りに行きたかった。

僕はよく物を失くす。無意識でというか、ほとんど意識しないでその辺に物を置いてしまうので、どこへ置いたのだか分からなくなってしまう。でも、大概そういう時は何かしら考え事をしているのだった。別に変なところに置こうなんて思ったわけじゃないのにそうなってしまう。それで物を探していて、見つからなくて予定に遅刻するとか良くあることだ。そして遅刻して怒られる。

あと、人の話を全然聞いてないらしい。何というかやっぱり考え事というか、他ごとをしていると、人の話が耳に入らないというか、なんか適当に返事をして聞き流しているみたいだ。それで「聞いてた?」とか言われるのだけど、ゴメン聞いてなかった。でも無視してやろうなんて思ったわけじゃない、考え事だってしたくてしてたんじゃなくて、気が付いたらしていたのだ。でもそれでやっぱり怒られる。

俺が悪いのかなぁなんて僕はよく思う。俺別に悪くないというか意図的にそうやったわけじゃなくて、なんか自分でも分からないでそうなってしまっただけなのに、なんで俺が悪いことになって、怒られないといけないんだろう。俺がぬけてるのがダメなのかもしれないが、俺だってぬけたくてぬけてるわけじゃない。叶うことなら常に気を張っていられるような、なんでも出来る完璧な人間でありたい。それがそう上手くいかないのは、誰だって同じことじゃないか。怒られる筋合いなんてない。

と、屁理屈めいた自己正当化をする一方で、俺が悪いんだなとも思う。だって普通に、パスポート面倒がったのも物失くしたのも話聞いてないのも他でもない自分自身のことなのだし。例えその気があろうとなかろうと、それは自分の負ってしまっているもののために起こってしまったことなのだ。だったら、責任は取らないといけない。

確かに自分が悪いわけじゃないかもしれないことの責任を、しかし取らされるのが世の常である。でも、責任を取ることは大事だ。誰だって自分が悪くないことの責任を取って生きていて、それで一人の人間になるのだ。

誰かが悪いわけじゃない、ということと、それでも責任を取って生きないといけないんだ、ということを同時に、同じだけ尊重して考えたい。その中で俺が出来ることって何だろうと考え続けたい。

そんな気分で、『あ、アムネジア……』を書いた。ぜんぜんそんなことを考えて作ったようには見えないくらいふざけたテキストになった。でもそれは俺が悪いわけじゃない。でもとても面白いので、面白いことの責任は積極的に取りたいと思う。