鬱になった

鬱になったと単に書くと、単に憂鬱であるということも意味するので、はっきりと鬱病になったと書けば分かりやすいのだけど、自己診断なので断言し難いところがある。

それでもまあ鬱病だろうなと思うのは、喉が痛くて鼻水が出て寒気がして微熱もあったらこれは風邪だなと、医者にかからなくても判断してしまうのと同じことで、食欲がなくて何に対してもやる気が出なくてずっと胸が締め付けられるような苦しさがあって訳もなく涙が出るならそりゃ鬱だろうと、医者にかかるまでもない。

体の内側で爆発する、暴れ回りたくなるような、物に当たり散らしたい、体を傷付けたい、生きることをしたくない、死にたい、という破壊的な衝動と、それを抑えようとする理性がずっとぶつかって、体がはち切れそうになる。体が疲れまでそれが続くと、今度はその状態にならないように、心も体も動かない方に向かって、やる気や元気が損なわれていった。寝たら治るかな? と思って寝たのだけど、起きてもこの調子で、ああこれは本当にちゃんと駄目なやつだと思った。

過去にも経験があって、高校生の頃の辛い時期はずっとこういう感じ、だからなんというか帰ってきたようで懐かしい。つまり青春時代をこの感覚と共に過ごしたものだから、むしろこちらの方が自分の本当の通常の状態ような気すらする、これまでどうして普通でいられたんだろう? 今ではそれが逆に分からない。

これは本当に突然のことで、一昨日と昨日と友だちと泊まりがけで遊んで帰宅して、帰宅してしばらくすると、涙が止まらなくなって、そうなった。その流れだけ見ると、楽しかったことの反動のような感じもするけれど、多分違っていて、あるいは関わっているとしてもきっかけみたいなもので、こんなにもちゃんと駄目になるとは思っていなかったので唐突な感じは拭えないが、前々から薄っすらと嫌な感じがずっとしていた。

それは自分の人生が固まっていく感じ、まともな方へ流されていく感じ、普通な方向にいろんなものを積み上げて、普通な方向に自分が伸長していくことに妥協させられ、その大きな流れに従わされ、社会的に誰もが進む道にお前も行くんだ、という逃れられない感じがずっとあった。抗わないといけない、抗わないといけないと確かに思っていて、しかしその途方もなさ、敵わなさを前に、全面抗争とはいかず、できる範囲で、小さく抗おう、と臆病なことを思い続けていた。

そうしたこともあって、普段は自分から積極的に人に連絡を取ったりしないところを、久しぶりの友だちに相談してみたりして、今回遊びに出ていたのもそうしたことの延長で、普段やらないことをやっていようとか、目的もなく散歩しようと言うような、不確実性を愛そうとする小さな小さな運動、抵抗を続けつつ、それでも拭い去れない危機感がずっとあった。だから鬱にはなるべくしてなったのだと思うけれど、まさかこんなにひどい状態にまで落ち込むことになるとは思ってはいなかった。

いまだって「自分は鬱病だなあ」と思えているのでマシな方かなと思うけれど、このマシというのはこれ以上悪化はしないという程度の意味で、じゃあどうやって治していくのか、というところで途方に暮れる。さっきも書いた通り、こっちの状態の方が本当のような気がしていて、治すみたいなのが正しいのか分からない。これまでの自分は全部もうやめたい。

けれど死ぬしかない、とまで思い詰めるほどは酷くなく、仕事のことや生活のことを本当に捨てたら大変で、と思うほどにはまともで、でもそのまともさが嫌になっている。これまでの自分、社会的で社交的で、まともである自分、ちゃんとした自分、ちゃんとしようとしてしまう自分が嫌だもうやめたい。そういう自分の振る舞いがいかにも「男」みたいだと思う、くだらないと思う、馬鹿みたいだと思う、疲れることだと思うのにそうしないといけない気になってしまう、気にさせられてしまうことも嫌だ、自分を「男」みたいにさせるものが嫌だ、という意味で「女」みたいなものが憎い、と思った。恋人に暴力を振るう男はこういう気持ちなんだろうか、となにか分かってはいけないものを分かったような気がするが、まあでもだからと言って実際に人を殴ったりはしない、しないだけのまともさがある。そのまともさこそが嫌なのだと何度も何度も言っている。

こんなことも書いてどうするんだろう。でも他にすることがない。先週までずっと遊んでいたゲームが急に馬鹿らしく思えてばっさりとアプリを消したらすることがない。本なら読める、本を読むことと今の状態にはしっくりくるものがあるのだけど、とはいえ根本的な元気がなくてそろそろとしか読めない。

あまり、詳しく自分の思っていることを書けない。極私的なことで、自分は、私的なことをあまり書きたいと思わない。私的なことをも書き切ることが書き手にとっての誠実さと見做されることがあり、最近は特に、告発のような文章を筆頭に、書き切る誠実さが尊ばれている。それはそれで分かるが、しかし自分はどこかで、その態度を良しとできない。プライベートなことには、書くことで人を傷つけてしまうことが多くて、自分も傷つくことになって、それを押してまで書くことが誠実とは思えない。嘘を、フィクションを通して書くのが自分にとって一番誠実なことだと思う。自分にとっては。本当は。しかしフィクションにするには絶妙に元気が足らなくて、今も痒いところに手の届かない半端な文章を書いている。何のための文章か分からない。胃が痛くなってきた。

そういうこともあって、相談するようなものとも思えず、今の状態を報告だけ必要な人に行って、今日も仕事にも出るだけ出て、けれどほとんど何もできないうえ、主体性を期待された瞬間にまた涙が出てきてしまった。忙しくない時期なのが幸いだが、このままだと遠からず支障が出てきてしまうのを、どうしたもんかなあ。全部壊れてしまえばいいと思っているので呑気にしているが、一方でそれは困るので焦りがある。

そう、しかし、気がついてしまった。パチっと出し抜けに鬱になったのは、パチっと気がついてしまったからだ。まともでいることは恐ろしい。ちゃんとするのは良くない。いわゆる健康な状態は、自分にとって健康ではない。健康に戻ることは健康ではないから、自分には帰る場所がないというか、こちらが懐かしくも新しいマイホームなのだ。今日からここで暮らさないといけないのか〜どうぞよろしくお願いします。誰にでもない挨拶。馴染みある匂いだけがあり、家具も窓も何もないのだが。出入り口もあれ、さっきまではあったんだけどな。消えてしまった。空っぽの部屋。やれることがないんだけど、これからどうしたらいいと思う? あの、誰かいますか?