ツイッターから逃げ出してきた

ツイートを書いていて、100文字くらいまで書いたところで書く手が止まって、投稿に至らないことが増えた。

投稿できずにツイートが下書きにたまっていくようなことは昔からあったが、それとはまた異なる葛藤でもって投稿できなくなる。

というより最早、投稿は下書きにも残さずに消してしまう。「書いたはいいが投稿できない」のではなく、書いている途中で「全然コレじゃない」となるので、残そうと思えない。

書きたいことが書けないのには、書く技術が足りないということはあるかもしれない。だが技術とは異なる違和感がある。100文字まで書いて、140文字という制限が意識されると共に覚え始める違和感。

たぶん、これはそもそも140文字のフォーマットで書きたかった内容ではないんじゃないかと。そういう場違いな感覚かもしれない。どうせ聞く耳を持たない人を相手に、それでも何かを言おうと思って、思うだけで結局やめてしまうときのような徒労感に似ている。

言いたいことを言うのに適切なフォーマットがある。ツイートのフォーマットはツイート=つぶやきのためにあるのであって、そうでないものをあのフォーマットで投げようとすることの無理がある。

俺が書きたかったのは、次のようなことだ。真っ直ぐな言葉は、それがどれだけもっともらしくても、何ら正当性はない。言葉は適切に曲げる必要がある。それを伝える意思があるならば。

伝える意思がないなら構わないだろうが、それは正しくあれないということを承知しておかなくてはならない。そのことが、よく分からなくなってしまっている。

ツイートにツイートではないものが混ざっていても、そのことに違和感を持てなくなっている。ツイートではないものが、ツイートのフォーマットに乗って流れてくる。その質の変容に耐えられない。自分もツイートでないものを140文字に収めようとしていて、気持ちが悪くなって逃げ出してきた。

自分の中で、140文字に収めて書くべきことが分からなくなっていて、でもそれをその形で書くことは自分にとって大切なものだという気がする。誰かのためでなく自分のための言葉。ささやかで、かつ無責任な言葉。

ツイートを書いていて覚えた、あの場違いな感覚は忘れないようにしないといけない。何も書かないことより、何でもいいから書いたほうが良いとは思わない。最低限の適切さが目指されないのならば、最初から無いほうがマシだ。しかし、適切な言葉はいまどこにあるんだろうか?