なんか思ったこと

何か悲しい事件が起こったとき、僕は加害者に共感してしまう。それは被害者には共感しないということではない。どちらもに共感する。今の自分の人生に何ら必然性を感じないで、別に何にでもなりえただろうと感じて生きる私は「かつて/この先、被害者にも加害者にもなりえた/なりうる」という可能性に対する素朴な確信がある。あるいは既に、私は何かの被害者であり加害者であることの確信がある。

加害者にも被害者にも同情するので、被害者のために加害者を非難する人の気持ちも分かるし、加害者を擁護してつい被害者を叩いてしまう人の気持ちも分かる。どちらもよく分かるので、どちらかの立場に身を置くことができない、たとえ前者の立場をとるのが社会道徳的に正しいとされていることを理解していたとしても。

私は悲しい事件を前に、ただ「悲しい」とだけ思う。 そうとしか思えない。

だから、何か悲しい事件が起こったとき、その問題の原因は当事者たちの元にはないと考える。彼らの背後にあるもっと大きな、実態のない、人の領域を超えた何かに原因を求める。そうでなければこの悲しみを前に為す術がない。

それならばきちんとフォーカスを合わせて大きなものを相手取るのだ。それを正確に為すことを目指すことだけが、平凡なだけで何の取り柄もない、何者かであったことのない私に出来る唯一のことだ。力があるからではなく、力がないからこそ大きなものと戦わなくてはならない。

基本的に僕は何かに執着することはあまりないのだが、そういう信念だけは大事に持っておきたいと思う。