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今とても視野が狭い

いつまでもこのコロナ禍というものが何なのか捉えきれずにいる。人災では当然なく、天災ではあるが台風や津波のような直接的な被害を与えるものでもない。気が付けば始まっていて、終わりも明確なそれが訪れるのではきっとない、掴み所のない災い。

何か悔やむべきことがあるわけでもなく、誰かを弔うようなものとも異なる(もちろん亡くなっている人はいるものの)。自分に出来ることはなんなのか、いまいち分からない。

あれこれ考えるだけ無駄なのではないかと思わされる一方で、「演劇」を介してその影響をもろに受け、無視するわけにもいかないという、この徒労感。納得のいかないまま、周囲のいろんなものが適応し、変化していく。

年寄りのような気持ちだ。

つまり、時代についていけない。

置き去りにされてしまうことが、とても怖い。

私は、今に「適応」してしまうことが怖い。「適応」すること自体は、別に難しいことではない。果たして「適応」して良いものかを判断することこそが難しい。とりあえず、なんとなく、かつての「本来」の自分を保ったまま、全てを〈仮〉に置いたまま落ち着けない、安定しない状態がずっと続いている。

ずいぶん疲れた。が、まあ状況が落ち着いてきたこともあって、外出の機会も増え、多少なりとも冷静さと、元気を取り戻しつつある。

もう少しまともに頭が働くようになったら、未来のことを考えないといけない。コロナ禍によってオシャカになった、この先5年10年どうしていくか、という計画、人生設計みたいなのを立て直したい。とにかく今、視野を広く取れないのがキツい。

あとはこの、今の感覚。なんとない恐ろしさや、〈仮〉というものについて、もっと「今」と距離を取って考え、言葉にしたい。

とりあえずこういう日記的なものを、書き留めることからリハビリを始める。少なくとも後から振り返って何かしら掴めるようにできれば幸い。「今」しか考えられない射程の短さを脱し、もっと広い、長い目でものを見る感覚を取り戻せたら。