「座れるところ屋さん」

芝居を見るために吉祥寺を降りて、少し時間が早かったのでずっと気になっていたナポリタン専門店に入ろうかなと思った。そこは吉祥寺の劇場に行く通り道にあってよく見ていたけど、なぜだろう「専門店」みたいな感じを出されるとどうにも気が引けるというか、こういう言い方はなんだけど胡散臭いみたいな、そういう印象をどうしても持ってしまう。「専門店」ってわざわざ言うのがどうもしっくりこないというか、それはナポリタンでなくても、カレー専門店であっても気が引けないだろうか。なんだったらカレー屋なんて9割がたカレー専門でやってると思うが、しかしカレー屋の決して専門店と名乗らないのには気さくさがある。確かにナポリタンには専門店とすることの意外性はあるかもしれないが、おかげで気さくさが失われてしまっている。それは勿体のないことだ。

などと思いつつ、この空腹の中、赤い看板に白文字で「ナポリタン」と堂々と書かれているのを見ると、店の前を通った時のケチャップとにんにくの暴力的な香りを嗅ぐと、全てのことはどうだってよくなるし、気がつくと食券を買って席に着いて、ニコニコしながらナポリタンを待っている自分がいた。大盛りまで無料と書いてあって、小盛り300g、普通盛り400g、大盛り600g、大盛りを食べたい気持ちはあったが、その数字のいきなり増える感じに面食らってしまって普通盛りを食べた。おいしいというよりもとにかく好きな味だった。なんで今まで来なかったんだろうと後悔して、大盛りにしたらよかったと思いつつ、今思っても500を飛ばして600gはやはり怖い。数字はちょっとずつ増やして欲しい。

そんな調子でご機嫌に食べ終わったが、吉祥寺に随分早く着いてしまっていて1時間くらい時間を持て余してしまった。1時間というと喫茶店に入って待つほどのことでもないし、さっきのナポリタンの店でセルフサービスのお冷やを注ぐ間も無く食べ終わってしまって、喉も渇いていたので、飲み物を買おうとコンビニに寄った。コンビニにトイレのないことがたまにあるが、その店にはトイレがあって、ありがたいなと思いながら使わせてもらうことにした、しかも扉に「店員に一言お声がけください」とも書かれていなかった。都心のど真ん中のコンビニでなければそんなものだろうか。

まあともかく用を済ませて飲み物を買おうと思ったが、1時間も余裕があるものだから、ゆっくり飲めるものがいいなと思って、チャッと飲めないようなちょっと良い飲み物を買おうと思った。といっても良い飲み物なんてそうそうないというか、この時この場における良い飲み物ってなんだろうとも思ったが、そんなときにお酒が目に入って、お酒でも買ってみようかなと思った。僕はあまり一人でお酒を飲むことがなくて、別においしいと思ったことがないからというのもあるけど、喋るのが酔うことの醍醐味だと思っているものだから、一人で酔っても別段楽しくない。でも今日はそのあとに芝居を見るというのもあったから、少しお酒が入っているくらいのほうがリラックスして見れるかなーとの期待もあって、小さい缶のハイボールを買ってみることにした。

吉祥寺のその劇場はロビーが狭く、待つ人のための椅子がほとんどないのでどうしたものかなと思っていたのだけれど、劇場の中をのぞいてみたら待合室ができていて、そこは以前はカフェがあったところで、閉店後にテナントを探していたはずだったけれどどうもまだ見つかっていないようだった、それか探すのを諦めたのかもしれない。そのカフェはいつもソワレの開演前には閉まるので、待つ場所にもならないというので演劇人からは少し評判が悪かったので、まあそれなら待合室になるほうが観客としてはありがたいと思いつつ、ハイボール片手に入るのもどうかなと思って、劇場の外にあるベンチに座ることにした。

その劇場の外には、路面に接してベンチが設けられている。駅側手前にベンチがあるのは知っていたけれど、劇場入り口の通り道を挟んで、その奥にもずっとベンチが続いていたのは知らなくて、でもその奥のベンチの真ん中のあたりに人が座っているのを見かけて、ああここは座れるところだったんだと気が付いた。そのベンチの内側が駐輪場になっているので、単なる柵くらいにしか思っていなくて今まで気がつかなかった。というわけで寒いなぁと思いつつ缶を片手にベンチに座ってみた、とうぜんハイボールも冷たいので、ちびちび飲まざるを得ないというので、良い飲み物だったかはわからないが当初の目的にはバッチリ適っていた。そのお酒を飲みながら座って待っている、というのがとても良くて、最初の十分くらいはスマートフォンを見ていたのだけど、そのあとはもう何も見なくても時間を過ごすことができた。

実は昨日も芝居を見に行って、昨日の劇場は原宿にあったのだけど、その日も早く着いてしまって時間を潰すことになった。けど原宿、とりわけ裏原宿のあたりは恐ろしい場所で、気軽に入れる感じの喫茶店が全然なくて、「喫茶店でっせ、飲み物飲んでいきや」という感じの、ホスピタリティの高いお店しかなく、目的なくふらっと入って小一時間時間を潰せるような、いてもいなくても放っておいてくれるようなそんな喫茶店はどこにもなかった。その辺を歩いていても、路上で腰を掛けられるようなところも見当たらなくて、もう仕方がないので電柱にもたれかかって時間を潰すことにした。歩き慣れていなくてすぐに足が痛くなってしまうので、とにかく座りたいと思いながらも電柱にもたれていたのだけど、そんな僕のすぐ隣で若い女の人が屈んで座ったので、そんな路上に座っちゃっていいのか!? いいんだ!! と驚いた。でもその人はただ座ったのではなく座ってタバコを吸っていて、タバコを吸うために座る、という感じが、それだったら許されるなという感じがした。タバコで座れるなら、僕も喫煙者だったらよかったのに、とその時は思ったのだけど、ハイボール缶じゃダメなんだろうか、ハイボール缶でも別に良い気がするな、と今では思う。次に原宿で座りたいと思ったらお酒を買ってみてもいいかもしれない。ダメ人間感は増すが、そのレッテルが良い人間であろうとする意識を壊してくれるなら安いものだ。

まあでもそれでなくても、普通に気軽に座れるところがないというのは、ちょっと原宿嫌なところだぞと思う。きっと需要があると思うから、「座れるところ屋さん」という名前で、座れるところを提供する商売をしたい。それは別に飲み物を提供するでもなく、漫画が読めるでもなく、パーソナルスペースが侵されない程度の間隔で置かれた椅子に座れるだけのお店で、流石に電源くらいは使えるようにしようかなと思う。スマホの充電くらいはしていってくれていい。けどとにかくただ座れるだけのスペースで、利益はごくわずかでいいから、そういうお店を持ちたい。……と思ったけれど、きっと原宿の地価ではそれだけじゃ採算が取れないのかもな……と冷静になって、考えるのをやめた。まあでも原宿じゃなくてもいいから、そういう雑でゆるい場所を作れたらとはずっと思っている。座っている間、人は自分の時間を過ごすことができる。座れる場所というのは、ただそれだけで尊い。その点で吉祥寺は良い街だった。あるいは吉祥寺ではなくその劇場の方かもしれないが、とにかくその待っている時間は良くて、良かった。

気持ちのいい時間に、道を通り過ぎる人を眺めながら、この気持ちの良さを伝えられたらいいのにと思う。例えばギターでも弾けたらいいのに。ぼーっと考え事をしながらギターを弾けたら、少しでも良さが伝播できたかもしれないと。けれどギターが弾けなくちゃいけないというのもハードルが高いし、仮に弾けても流石に持ち歩いては当然いないだろうから、やっぱりギター以外の方法でなにかあったらいい。僕に出来ることはぼーっと考え事をするだけで、でもぼーっと考え事をすることは出来るので、だったら僕は考える人になりたい。ちょうど足を組んで、手で顎を支える感じの、例のロダンの彫刻のようなポーズが出来上がっていたので、人間彫刻ということで一つやっていけたらと思う。『考える人、ただし片手にハイボール』という台無しな感じの彫刻だけど、台無しなりに影響を与えられたらいいのに。それこそ、僕が先客の座っているのを見てそこがベンチだと気が付いた、みたいな程度でいい。誰か僕を見てベンチに座ってくれたらいいなと思う。けれど結局誰もそのベンチに座ろうとはしなかった。寒いので当然だと思う。

そんなことを考えながら時間が過ぎて、劇場に入った。芝居は、実は危惧していたのだけど、あんまり楽しめなかった。チケットは高かったし、上演時間も2時間以上あって大作という感じだったけれど、ただただ長い感じがした。モチーフがありきたりな感じがした、あるいはそのモチーフを掘り下げられていない気がした、でもそれよりなにより俳優がいいように使われている気がした。俳優の体が生き生きしているように見えなかった。それが一番嫌だった。みんな誰かにやらされている感じがした、誰かというのはまあ演出家のことだけど、ほとんどの俳優が自由に動けている感じがしなくて、唯一自由に動けている感じをかろうじて覚えたのが一番キャリアを積んでいる年配の俳優だった。でもそれもその俳優の技術が高いからとかではなく、キャリアがあるから演出家が強く言えなかったからという風に見えて、見えたというか邪推だが、ともかくその感じもなんだか嫌だった。

俳優それぞれの、その人の時間、その人の身体が見たいと思った。それがなくては、どんな言葉も物語も上滑りする。もっとみんなが自分の時間を持てればいいのに。それはその演劇だけでなく、もっと広い意味で。みんな、自分の時間を大切にしてほしい。そして僕は、みんなが自分の時間を大切にできるような場所を作りたい。そのためにはどうしたらいいんだろうかと思いながら、今こうして文章を書きながら、頭を痛めているのだけど、この頭の痛いのは苦悩の痛みでは全然なくて、お酒を飲んだことによるものだった。最近は飲むとすぐこれで嫌になる。もう少し丈夫でありたい。