書くことと歌うことと踊ること

作業に疲れたから文章を書く。ストレス解消として、ちょうどカラオケで一人で歌うような気分でこの文章は書かれている。最近はそういえばカラオケに行かない。むかし、というか大学受験期、自分にとってコスパの良いストレス発散法を探していた時期があって、その時カラオケはまあまあ良いじゃんと思ってよく行っていた。また行ってもいいのにと思う、けど、別に家で歌えば良くない? 必ずしも大声で歌わないとストレス解消にならないわけでもないし、そしたら別に怒られない。というかそうか、ウチは道に面した角部屋だからあまり音に敏感にならなくていいんだな。引っ越してもうすぐ2年が経つけどそんなことにも今更気が付いた。まあともかく家で歌えばいいのだし行かなくていいや、家では歌ったりする。歌うのは楽しい。

歌うので思い出したけど踊るのもいいのを最近思う。踊ると言っても別に振り付けを踊るんじゃなくてなんとなく身体を動かす、体操みたいな、でもどこかの筋を伸ばすみたいな目的もないのでやはりダンスみたいな感じで、だらだらふらふらする。放っておくと寝っ転がって動かないみたいなこともけっこう多いので、だらふらするだけで調子が整う感じがする。それはとても良いことだと思う。

おとといのことだけど全然眠れなくて苦しい思いをして、それはなんでかというとその日はツイッターで演劇の、次回公演の情報公開をした日で、公演の参加メンバーが誰というのをちゃんとお披露目したのだけど、そういうのをするとまあまあリツイートとかいいねとかされるじゃないですか。されるんですけど、でもまあまあといってもホントまあまあなそこそこな数字で、弱小団体なのでリアクションは3桁もいかないわけだけど、でもそれでも少ないなりにリアクションが広がっていくのを見ながら、なんかものすごく身体が落ち着かなくなっていって、張り付いたみたいにツイッターを見るようになってしまった。

なんというかそんなしょぼいリアクションだとしても「いま注目されてるな」という自意識を持ってしまうと、自分の振る舞いの一つ一つが気になって仕方がなくなるというか、自己言及したくなってしまう。そしてその自己言及に対して更に自己言及したくなるような、無限に続く負の連鎖が始まってしまうような、そういう精神状態になってとにかく落ち着かない。

そういうの今年の初めにもあった。演劇についての文章をこのnoteに書いたとき、そのときは3桁だったけどまあまあな注目を浴びて、精神状態がよろしくなくなった。そっからインターネットの使い方を考え直すようになったのだけど、時間が経って少し油断していた。まさか2桁程度のリアクションでもこういう状態になると思わなかった。俺は「気にしい」なんだと思う。

まあともかくそういう状態になって、でも自覚したからもうスマホは見ないぞ、と思って眠りに就こうとした。けれど落ち着かないまま、動悸がしたままの身体で嫌な予感はしていたけど、なんとか眠ろうと思ってシャッフル睡眠法を試してみた。これは脈絡のない言葉を並べてイメージしていくというもので、なんか論理的に考えたりすると人は眠れないらしく、非論理的に言葉を連ねることで論理のスイッチをオフにする、すると眠る、みたいな感じらしい。前にやってみたときは途中で飽きてやめてしまったのでその効果が分からなかったのだけど、今回は落ち着かない状態に対して「寝ないといけない」という意識が強くて、その焦りがむしろ功を奏して睡眠法に集中できて、眠くなるに至った。やっぱ飽きたとか言ってやめちゃダメなんだろうな。

けど問題はここからで、それで眠くなったのはいいんだけど困ったことに身体の状態は落ち着かないままだったみたいで、多分寝た、眠った状態だった、けど寝た感じがしない、浅い睡眠が続いているような状態で、まさにシャッフル睡眠法の連想を続けているような感じ、頭は何かしら脈絡のないイメージを生産し続けていた、それは夢と呼ばれるものを見ている状態に近いのだけど、実際はその手前、睡眠の浅い段階に留まったまま、あるとき「演劇」という言葉が頭に浮かんでしまったのだと思う、そこからどんどん演劇について頭が勝手に色んなことを考え始めて、気が付いたら目が覚めていた。眠れたのはせいぜい2時間程度だった。

流石にもう少し眠りたいと思って、睡眠法をもう一度試みた、けどそれとは別に、その目の覚めてしまったということについて考えたい気になってしまった。そういう精神・身体の状態に陥ってしまったのがショックだったし、同時に興味深いことだったから。それで睡眠法に集中できなかったので、落ち着くために白湯でも飲もうと思ってお湯を沸かしにキッチンへ向かった。布団から出ると夜の寒いのが応えた。けど気持ち良くもあった。いっそランニングでもしたらいいんじゃないかと思った、そうしたら身体も少しは落ち着くだろうと。けど数分も寒い中にいたらその気も失せた。流石に寒すぎた。

でも身体を動かすのはいいアイデアだと思って、そこでやっともとの話に戻るのだけど、ベッドの上で、動かせる範囲で身体を動かしてみた。動かすというか身体を観察した、という方が近いかもしれない。手のひらが、指先が、顔の表情がどうなっているのか、どういうリズムを刻んでいて、どういうリズムを刻めるのか、観察しながら動かして、動かしながら観察してみた。「動きながら同時に考える」というのがすごく良かったのかもしれない、他のことが考えられなくなるくらいにそれは忙しい、そのことに集中できた。で、終わってみると身体は落ち着いた状態に戻っていた。戻ったので、じゃあ寝ようか、とはいかなかったのが惜しいところで、再び寝ようとはしたけど寝れはしなかった。寝なきゃっていう焦りがなくなったからかな。けど、すこし楽になれて良かった。

しかしなんちゅうか、たかだか公演の情報公開程度で心身のバランス崩すのも弱すぎるだろと思う。炎上したわけでもあるまいし。でも寝る前に少しだけそのことについて人と話していて、その人が「リアクションが単なる数字だと気にならない」と言っていたのだけど、それで言うと僕はけっこう数字じゃなくて人の顔を伺っていた部分があったように思う。つまり「あの人が反応してくれた」「あの人は反応してくれていない」「いま反応したこの人は誰だろう」みたいな。そういう風になるともうダメなんだろう。けどそれは、僕がそれを気にしてしまうことがダメなのではなくて、それが見えてしまう状態にあるのが僕にとって不健康な状態なんだと思う。

もともとツイッターは積極的にミュートしながら使っている。800人くらいフォローしているけどそのほとんどをミュートしている。「見えない状態にする」というのは普段からやっている。けど今回良くなかったのは、通知を切っていなかったこと。年初の件の後、通知が来ないよう設定を変えたのだけど、ちょうど最近もういいかとか言いながら通知の設定を戻していた。調子崩すんだからもうダメだろと思って、再び通知を切ることにした。二度と戻さない。そして劇団というかユニットのほうのアカウントでも通知を切って、でも相互フォローだと通知が届くのを止められないから、1000人くらいフォローしていたのを全員フォローを外した。

そういうことをちゃんとしないといけない。そのサービスが推奨するような使い方が自分にフィットするわけではない、むしろこうしてネガティヴに働くこともあるのだから、考えなしに使っていてはならない。ちゃんと考えて使うこと。自分に相応しい使い方や在り方を考えること。断つことを恐れない。無視することと無視されることを恐れない。決して流されない。自分のリズムを死守する。そのために歌う、踊る、そして書くのだ。自分の、自分だけの時間を持つ。