二十歳になって考えてること

1ヶ月ちょっと前に二十歳になりました。世間的には、”大人”と呼ばれるようです。あまり実感はないし、強いていうなら不安な気持ちです。ただ、今、自分が考えてること、不安に思ってることを自分自身として忘れたくないな、という思いから、文章を書いています。

最近、結構色んなことを考えます。ありがたいことに色んな人と話ができる機会があります。それが、すごく自分の中で大切な時間である、という実感があるし、どこかで聞いたことがある「自分という存在は、自分が今まであった人の平均値である」という言葉も、あながち間違っていないのでは、と感じます。

結局、自分って何がしたくて、何でお金を稼ぐんだろう、ってすごく最近考えます。今、自分がやっていることって、自分が本当にしたいことだったのかな、って思うし、そもそも自分が本当にしたいことって何だったんだろうか、って思います。きっと、上手いことを言うのは得意な方だから、どんなことでもある程度、自分がやりたい理由付けができるし、これだけいいことしてます、みたいなアピールもできる気がします。でも、うわべだけやりたいことっぽく見えてるだけで、実は全然だったりしていそうで少し怖いです。
けど、そんなことを言いつつ、まだもうしばらくは夢見させてほしいな、とも思います。もう少し歳を重ねて、今よりさらに自分の行動に責任が伴って、もしかしたら自分1人の問題では無くなった時に、もう少し現実的なことを考えます。なので、まだまだ夢を見ていたいです。お金にならないこともやりたいです。突拍子もないこと、言わせてほしいです。

人のために何かをしすぎて、自分が楽しくなかったら本末転倒だな、って思います。結局、自分が何かをすることの根源は、今のところ自分のエゴなので、人に何を言われようと、やってもいいんじゃないか、って思います。ただその中で、人を幸福にできないだけならいいかとは思いますが、人を不幸にしてはいけないな、とつくづく思います。自分の無責任な行動のせいで、どこかで誰かが不幸になっているとしたら、それはいくら自分が楽しいことでも良くないことだな、って。それってすごく難しいことだと思うし、色んなことを知っていないといけないな、って感じます。

すごく色んな人が、「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」って言ってくれます。「いや、そんな簡単な話じゃねえよ」と、少し思いますが、それと同時に「あ、大丈夫なんだ」とも少し思います。ここ一年くらいを振り返った時に、本当に色んな人との出会いがあって、自分が想像していなかったようなことが沢山できて、常にこのぐらいの成長率で成長していたい。そして、このペースでどんどん新しいことをして、常に面白いことを考えられれば、案外大丈夫なんじゃないかな、とも最近少し、思えてきました。ただ、ここで言う大丈夫が何をもって大丈夫なのかは全く分かりません。

色についてしばらく考えていたことがあります。自分にとっての赤色って他の人からしたら、赤色には見えていないんじゃないかっていう考えです。生まれてから、色んな人に「これは赤色だよ」って言われていた色が人によっては赤色だけど、人によっては青色だったりして。そうだとしたら、見えてる世界って全然違うし、”情熱の赤”って言われて紫色をみてる人もいるんじゃないかと思うとすごく面白いな、と。

あとは、人間ってどうしても自己中心的になっちゃうよな、でもそれってある程度しょうがないよな、と思います。自分が人生という物語の主人公になってしまうので、あんまり他の人のことを考えられません。ある先輩と話していて、その方は東京とかに行ってすごくたくさんの人とすれ違ったりすると「今すれ違った人に本当に魂があって、ストーリーがあるんだろうか」というようなことを思うそうです。僕も割と、そんなことを思います。自分に今日までの人生があるように、生きている人であれば誰でも同じだけのストーリーがあるのに、そのことをあんまり考えられないのはもったいないことだし、そこを考えられれば、そう簡単に人のことを嫌いになったりもできないよな、というようなことを考えます。

これが最近の僕の頭の中です。

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