女性として生きるということ

私がこの社会で生きづらさを感じている理由のいくつかは、
自分のジェンダーが女であるということに起因すると思う
世の男性には、この社会で女性が生きるということがどういうことなのかの理解が、圧倒的に足りないように感じる

例①:某精神科医Youtuberの動画からのメモ
基本的に女性は、「生きる」というのが難しい
・男性より複雑な役割を担わされており、様々なアイデンティティを使って、いろいろなことに気を遣ってそれに対応しなければならない
女の子としての生活/母親としての機能/「家」のマネジメント/男性社会の中で働く、など
アイデンティティレベルでのマルチタスクを強いられる
ライフステージにより役割が変わる、それらを空気を読んで覚えていかなければならない
・性的な暴力、性的な誘惑にさらされる。身の危険が多い
特に若い頃は、それに伴って色々なお金が動きやすい。周囲の注目を浴びやすい
・「普通」であることを強いられる。奇異であることが認められがたい(脳科学的にも、社会的にも)
例えば若い男性だったらバカなことができる。道で寝ていても暴力を受けることはない
・性ホルモンが感情・思考回路に及ぼす影響が大きい。不安定になりやすい
・女性に対する社会的な建前と本音が異なり、後者を教えてあげられるのは家族しかいない。それもあって、母親の価値観の影響を強く受ける(世代連鎖)
・身体的に小柄、力が弱い、体力がない

例2:
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00069/070100003/?P=4

この記事を見て、紹介されている2つの本
『部長、その恋愛はセクハラです!』(牟田和恵著、集英社)
『壊れる男たち― セクハラはなぜ繰り返されるのか―』(金子雅臣著、岩波書店)
を読んだことがある
どちらも全男性の必読の書にすべきなのではないか? 中高の教科書にでも載せるべき内容だと思った

私が「女性は『ノー』を言うことを教えられてきていない」と言うのは、「なら言えばいいじゃないか、ただの言い訳」という話ではなく、「ノー」を言うことがそのまま自分の不利益につながったり、社会的にふさわしくない振る舞いとされているからだ
ハッキリと「ノー」を言うことで、「自意識過剰」と女性自身が辱められたり、「冗談だった」とごまかされたり、「恥をかかされた」と恨まれ報復されたりする
そもそも弱い立場にいて、身体的にも相手にかなわない「女性」にとって、それは死活問題となる
それに、それらにいちいち腹を立てて反論していては、社会人として仕事もできなくなるだろう

こうした立場にいる女性にとって、男性の振る舞いは、「(立場が弱く)言えないことをいいことに、好き勝手やっている」ように映る
某Dr.はそれを、「時々、女性の中にマグマのような圧倒的な怒りがあるのを感じる」と表現していた

あるアンケート調査で、女性に「男性にとってどんなことが大変だと思いますか?」というような質問をしたら、「男性は大変ではない」という回答が1位だったという話を目にした
それはあまりに極端な反応だと思うけれど、一方、「私たち女性が日常的に体験している身体・精神・社会的現実の複雑さ、不快さ、予測不能さに、いったい彼らは耐えられるのだろうか?」とも思う
それらは「まだ、言語化されていない」だけだ
存在しないのではない
そして、弱者が言葉を得て、それらを表出できるまでには、まだまだ時間がかかるだろう