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推しではない人

ずっと指名しているキャストさんがいる。

一番最初にレズ風俗を使い始めてから2年弱。どれだけ空いても1ヶ月は空かないペースでお会いしていて、もう何度となく遊んで頂いているけれど、時間を重ねた分、こちらへの理解度が上がり居心地は良くなっていくものの、全く接遇レベルは落ちることがない。常にとても楽しい時間を過ごさせてもらっている。

まさに「神キャスト」というのにふさわしく、あまりに安定していて素晴らしいので、遊び始めてから1年位した時に、もしや2.5次元か、アンドロイドなんじゃないかという疑惑がほんのり湧いてきて、1年半を過ぎた頃、とうとう友人との間での通称は「デウス・エクス・マキナ」(機械仕掛けの神)になった。

最初、彼女のことは「推しちゃん」と表現していたのだけど、途中から違和感が出てきて「すきぴちゃん」に表現が変わった。
私は彼女を「推し」てはいないな、と思ったからだ。

消費行動自体が支持行動で、支持行動はすべて応援であり推し活だ、という人にとっては「推し」なのかもしれないが、私にとってもう少し「推す」という行動の定義は狭く、自分の益ではなく、推しの活躍や、推しの願いや望みの為に、相手をもり立てる行為を「推す」という。

そのことで推しが喜んでくれることが自分の喜びなので、「推す」のは結局自分の為なのだが、一義的には自分が何かを得る為にやることは「推し活」ではない。

私は彼女の願いや望みの為にお金や時間を使っているのではなく、私がサービスを受ける対価としてお金を支払い、その時間を楽しんでいる。
そのサービスを提供してくれる相手であるキャストさんのことは大好きだが「推し」ではない。

相手は「推し」ではないから、相手がどうすれば喜んでくれるか、ではなく、この時間、自分がどう過ごすと楽しいかを追求する。

相手の気持ちに配慮しない、ということではない。もちろん良いサービスを提供してくれているキャストさんには、敬意と誠意と礼儀を持って接するが、それを超えて私が定められた対価以上の何かを相手に提供しようとすることは、対価の対象として設定されているサービス以上の何かの返報を期待することに繋がりかねないと、危惧する。

私たちの関係性を歪めずに正しく認識し、その上で、いつまでも楽しく彼女と遊び続けたいから、彼女は私の推しではない人なのだ。

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