手放しと空虚感

noteには、私の感じたことをあまり飾ることなく綴っていきたいと思います。なお、私が感じることは日々変わり続けているため、それにつれて、私の主張も変わっていく可能性があります。また、時には、一般的な意見とは異なることを申し上げることもあるかもしれません。何卒ご了承の上、お読みいただけますと幸いです。


手放しと空虚感について書こうと思います。

少し前のことですが、もっともっと、自分を最高に大切にしよう!本当に好きだと思えるもの、納得のいくものを選ぼう!と決めました。

そして、とっても大切だったけれど、ぬぐえない違和感のあったものを、ふたつ、手放しました。

「大切だったけれど、ぬぐえない違和感のあったもの」は、大好きだったけど、粗末に扱われている?と感じる瞬間のあったものでした。

大好きだったから、簡単には手放せなくて、でも気づいてしまった違和感をそのままにすることもできなくて…「手放しさせられた」とか「強制終了が起きた」と言った方が正確かもしれません。特にふたつめは。

それから、自分の力で毎日をキラキラ輝かせようと思って、たくさん行動してきました。

「楽しいな」
「幸せだな」
「私は私を大切にできている」
「手放さなかったら、見ることのなかっただろう景色を見ることができている」

そう感じる瞬間もたくさんあるけど、ときどきエネルギー切れになって、お布団の中のミノムシ化するのは、ひょっとしたら頑張りすぎでしょうか。

それとも、美しく羽ばたく前のサナギ状態でしょうか。

お布団の中のミノムシ化している時は、無気力…というか、なんだか空虚だなって感じていたりします。これまで好きだったことや、やりたかったことも、本当に好きなのか、やりたいのか、よくわからなくなってしまって。

「とても大切」だと思っていたものを手放したからこそ、「本当の私」が抱えていた、空虚感とか虚しさといったものが姿を現したのかもしれないと思ったりもします。これまでは、その「とても大切なもの」ふたつで、上手に塞いできたのでしょうね。

先程も書いた通り、ふたつめに手放したものは、手放さざるを得ない状況になって手放したので、その時点では本当には手放しきれていなくて(期待感が残っていて)、いくらかの時を経て、今ようやく、手放しが完了しつつあるのかもしれません。そうだったらいいな。

ちなみに、空虚感とか虚しさとかいう言葉は、ネガティブに聞こえてしまうかもしれないけれど、個人的にはネガティブが悪だとは思わないし、喜怒哀楽、どんな感情にも優劣はないと思います。きっとこれも良い経験なんだろうと思います。

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