唐突の自分語り〜塾選びは慎重に〜
春ですね。来るなら先に言っておいてほしい。
そう思うのが傲慢でしょうか
春がきたからって浮かれていられるのは冬眠から覚めたイノシシか虫くらいなものだと思う
あとは真新しいランドセルを背負って団子になりながら登校している小学生くらいだよ。頑張ってね
私も毎年この季節になると高校時代を思い出す。
当時の私の夢は医師になることであった。ちなみに言うと私の家系で大卒は1人もいない。
しかし、自営業をしていた父の努力の結果そこそこの暮らしはさせてもらえていた。
また、私の記憶は定かではないのだが幼少期に受けた知能テストで奇跡的にIQ130のスコアを叩き出してしまったらしいのだ。
その結果、母の頭は少々お花畑になり始めた。このことについては後々触れようと思う。
私は私立の小学校受験をすることになった。
高校までエスカレーター式の学校に無事入学でき、女子校での学生生活に身を置いて、仲のいい友達も少人数ながらできて順調にオタクになっていった
毎日がそれなりに楽しく、特に中学に上がってからは勉強もそんなに苦ではなかった方なので1日に2時間は必ず勉強していたのを覚えている。
中学3年生の春に、事件は起こる。
当時私が行っていた塾は母の選んだ塾だった。
そこはdvdで授業を受けるタイプで学校の予習くらいの気持ちで私は通っていた。
そこの塾長がある日とんでもないことを言い出す。
「これからオークさんには地元の進学校B校の生徒対象(私が通っているのはA校)の授業を受けてもらう」
「早稲田卒の俺が直々に教えてやる授業はとても価値がある」
「この授業受けないんだったらお前は医学部にはいけない」
今この言葉を聞いたらこう答えているであろう「何言ってんだこいつ」と。
正直この塾長は気に入らない生徒は胸ぐらを掴んだり、近隣住民からのクレームを車で迎えにきている生徒家族のせいにしたりかなり変な人ではあった
しかしこの恐喝めいた助言は私の母親にはかなり効果的だった
私は塾長の言った通り講義を受け始めることになったのだが、1ヶ月が経つ前に壁にぶち当たった。
A校とB校の試験範囲は全く違うのである。
例えて言うのならA校が二次関数の時にB校はベクトルをやる。またその授業は週に3回、21時過ぎまでありA校の試験前だろうと欠席は許されないというものだった。
私はかなり焦った。すぐに特別授業から外してもらおうと塾長に直談判しに行った。しかし上記の通りの言葉が返ってくるだけであり、総括すれば「お前の努力が足りない」というようなことを言われるだけであった。
夏休みが始まる頃、すでに成績は下がっていた。それでもなんとかして食いついていこうと友人からの誘いは一切断っていたのを覚えている。この頃から孤立しつつあった。
高校に上がる手前で塾長と家族で話し合いに行った。いう通りにしているのになぜ成績が上がらないのか、親から見ても相当に娘は努力しているがそれに反比例するように成績は下がっている。そういう内容だった。いちいちこんな話し合いをする時点でお分かりだと思うが両親もかなり不安なのである。自分が通ったことのない大学受験への道のりをどう歩んでいけばいいのかわからなかったのだ。
「寝る間も惜しんでやってないのならそれは努力といえない」返ってきたのはその言葉だった。
その日の夜、私の母は一つの提案をしてきた。
「3時間睡眠で頑張ってみない??」
私は何を言っているのかわからず何回か聞き返したが、母の言いたいことはこうである。
「とある記事で読んだ人は高校の3年に上がってから毎日3時間睡眠で勉強したそうよ、今は京大の医学部生なんだって♫」とのことであった。
私は拒否した。続くわけがないに決まってるからである。
母は強硬手段に出た。毎日私を監視するようになったのだ。夜の3時まで私の部屋から電気が消えてないか見張り、休憩していたら怒号をあげ部屋の物を全て薙ぎ倒すようになった。もともとヒステリーの素養は持っていたがここまでとは…と絶句していた。
反抗する気力もなかった。ただただ毎日3時間睡眠を続け友人のいない学校に行き担任からは怠けてると糾弾される生活を一年続けた。
そこから先はあんまり覚えていない。
覚えているのは高校2年に上がる前になぜか塾を辞めれたこと。
母がポツリとごめんねと謝ったこと。
父が通信制高校の資料を取り寄せていたこと。
なんとなく死にたいと常に考えるようになったこと。
それぐらいだった。それだけしか残らなかった。
〜続きます〜
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