[F.W.]『この世界の片隅に』を観てきたぜ!

(11月14日加筆修正)

という訳でタナベです。
今日も今日とて山谷新聞をお送りします。
生きてますよ。はいつくばりながら。11月だもんで。

で、
本日より公開のアニメ映画『この世界の片隅に』を観てきましたよ!
それについて書きますよ!ネタバレありですよ!
アタシゃ、こうの史代さんの原作が大好きで、期待度が上がってました!

クラウドファウンディングで少額ながら支援もしてるけど、試写会へ行けなかったんだよね。やっと動いているすずさん(主人公)に逢えた。自分の脳内じゃなくて画面から声が聴こえた。それだけで涙ですよ。

ツイッターでは、いろいろなRTがされていて、期待度が上がってるんだけどさ、そもそも横浜で上映しないで、観るのは鴨居か川崎になるんだわ。観覧者を集めて集客率を上げるようなマーケティング!?と疑ってしまう。いや今日ね、朝9時半の開館でチケット発券機にならんだら、もう16時の回しかない訳。まあ予約しろって話なんだけど、6時間半ラゾーナ川崎でつぶしたよ。横浜は首都圏じゃないんだねえ。。。

どうやら地方は空いている劇場も多いみたい。また、一部では、終演後に拍手が自然発生的に起きるらしい。でも川崎ではそんなことなかったよ。きつきつ満席、子どももポップコーンこぼすし、終わったら終わったで静かなもんですよ。川崎だねえ。同調圧力ないねえ。

原作が大好きなので、ワタシはワタシで期待度が高かったんだけど、ワタシ、片渕監督と、物語を読み解く歩調が違うみたい。原作を知っているからなおさら、回りの人より笑う場所、泣く場所が早かった。いや、挿話として数が多いのでテンポよく描かないといけないんだけど、ちょっと余韻って奴が足りなかったような気がしてしまう。126分間があっという間。自分が疲れているのもあって、これでアニメ映画声優初主演という #のんさん 、の演じるすずさんにも感情移入ができなかったな。理由は下記の2と3。

感情移入ができなかった理由にはもう一つあって、画面から得られる情報量が半端なく多いのよ、緻密なの。原作以上の、当時の日本の呉の再現度だったんだわ。まあ映画ってそういう物だと思うけれど『シン・ゴジラ』と同じくらいのこだわりっぷりだったの。なので取りこぼしたのが多かったわ。そういう細部を気になり出すと、主人公に感情移入できなかったんだよね。特にすずさん、という主人公は、のほほんとしていているのが特徴の娘さんだもんで。

まあそれはいいや。のんさんの声、よかったし。すごく自然体。のんさん主演でNHK朝ドラで #この世界の片隅に やってほしい!くらいな。だってこの物語は、主人公のすずさんの、少女から結婚して、大人の女性になって、母になるまでの物語だもの。


驚いたのは四点。

1. 径子さんが水を飲んだときに、すずさんが「それ!砂糖水!」の顔をしたところ。
2. すずさんが何故か「リンさん」の名前を知っているところ。
3. 周作さんに「本とはあんにい(あの人)と結婚したかったくせに」という台詞がなかったところ。
4. エンドロール。涙。

1. は原作でも描かれているんだけど、アニメで観て良かった。えらいおかしかった。えらい笑った。笑。

2と3. は、うーん、映画は、二葉館(遊廓)のリンさん、との関わりを一瞬しか描いてないんだよね、迷子のところだけしか描いていない。名前なんて交換(?)してないのに何故か「リンさん」って知ってる。それに周作さんのノートの裏表紙が切り取られている描写はあるんだけど、二葉館については何も触れられない。もしかして作ったものの割愛したのかなあ。
リンさんは、すずさんにとっての、世間や女性性やおしゃれや、同年代の唯一の友人として語り合える女性なんだけれど、その対話が全てなくなってしまった。これはかなりもったいない。そして、リンさんと周作さんとの関係が全く描かれなかったのももったいない。
この物語は、主人公のすずさんの、少女から、結婚して大人の女性になって、母になるまでの物語。
実は夫に他に好きな女性がいたんじゃないか!?疑惑、夫から他の男と結婚したかったくせに!?と言われてしまう(台詞はなくなっていたけれど)、そして泊りにくるその幼馴染みの男性との関係は!?。
呉、という知らない町に嫁いで来て、すずさんが考えていることや迷い、不安。これらが二葉館の挿話があれば、すずさんの心の揺れや、夫への怒り、右手を失ってからの「言いたいことと違うことを言ってしまう」気持ち、そのつらさ、が深く描かれたのになあ、と思うのよね。
また題名で終盤で台詞にもなっている「この世界の片隅に」に、先んじて対応する形でリンさんの「誰でも何かが足らんだけでこの世界に居場所はそうそうのうなりゃせんよ」っていう重要な台詞があるんだけど、それも割愛だもの。「この世界の片隅に」を映像化する意味合いはあったんだろうかねえ。
リンさんとの挿話を削ることで、どれだけこの豊穣な物語がしょぼくなってしまったか!!!

どうでしょうかねえ。
これらがあったら、物語に反戦映画、じゃなくて、女性の一代記としての意味合いが出るし、すずさんへの後半からの感情移入はすごかったと思うのよね。すずさんにとっての二葉館とリンさんが「秘密」になってしまったからこそ、最後の怒り、涙に感動できる気がするんだよなあ。三時間になってもいいから割愛しないで欲しかったなあ。ここらへんは原作読んだらすぐ分かってもらえるはず。

4. エンドロールはね、2本ある。1本は原作にはない、母のすずさんの話。もう泣きどおしですよ。径子さんと女の子(名はない)とすずさんとお揃いの生地で洋服作ってさ。いやんもう。こんなご褒美ある!?片渕監督ありがとう!(ってツイッタでレプライを送ってしまった...)
もう1本は口紅で書いたリンさんの小さい頃からの話(こっちは原作にある)。つうかリンさん最後に出すならやっぱり二葉館の挿話は全部入れて欲しかったなあ。二葉館が何屋か分からんかったしね。



ってな訳で好き勝手な感想みたいなものを書きましたけれど、映画はね、サポーターですし、みんな観て欲しいと思うし、自分もまた観ると思う。


いいもん観たなあ、とは思う。あの細かな描写であのマンガが大画面に立ち上がってくる。これはすごいことだよ。あまり話題になっていないけれども、大作だよ。反戦映画として10年後も残る作品。
近所で上映されていたら是非!ご覧になってくださいね。で、よろしければ原作もお読みください。貸出用がウチには一部ありますが(ω)ワタシは反戦映画と思ってないけどね。

では、
では、
また。
今月も静かに過ごします。

(Sat, 12 Nov 2016 21:29 JST.)


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