【No.5】奥尻島で経験したキセキの10日間
5日目
この日は車で島を周遊した。
初めに向かったのが「奥尻島津波館」。
1993年7月12日に発生した、北海道南西沖地震について学ぶ…予定だったが、まさかの休館日。
そこで、ゆうとさん直々に特別コースで当時の出来事を教えてもらうことになった。実際に津波が来た場所を高台から見て、生死を分けたのは紙一重の行動だったと知る。
現在もある港の避難用高台や街中の避難路にも案内してもらった。かさむ維持費と島の財政、実用的なものとは何かについて、考えさせられた。
次に行ったのは「離島仙人」。
元気で気さくで笑顔が素敵な代表の枝松さんに出迎えられ、別名虹色サンゴの名が付く深海松を加工したネックレス作りを体験。完成したネックレスはその日から毎日付けるようになり、今では奥尻島での思い出と共に大切な宝物になった。
昼食もここでいただく。離島仙人は本来、奥尻島で取れた海産物を加工・販売する商店なのである。
水産加工店ならではの海の幸を枝松さんの"番屋"で堪能しながら、今後生きていく上で経験するであろう、人間関係の難しさや誰しも巡ってくるチャンスの話を聞かせてもらう。
真っ直ぐな瞳でひとりひとりの目を見ながらお話ししていた姿が忘れられない。
お次は「球島山」へ。
"いいよと言うまで自分の靴紐だけを見ていて"と指示を受け、山頂からの光景に胸を膨らませながら、一段一段、階段を登っていく。
顔を上げるとそこにあったのは、鳥肌が立つほどの壮大な景色だった。
ここでゆうとさんに教えてもらったのは、心のシャッターを押すことについて。
自分が見た景色と合わせて、写真には収められない音・匂い・風を感じ取り、目を瞑ったときに思い出せるくらい、記憶に収めることである。
数分間に渡り五感を使って収めた球島山の景色は、今でもしっかりと覚えている。
最後に向かったのは、奥尻島の8割を占める森林、その中でも6割を占めている「ブナ林」だ。
奥尻島に滞在中、様々な経験をしたが、ゆうとさんによるブナ林のガイドツアーは特に印象深く残っている。
"橅(ブナ)"と表す由来とブナの役目から考える、無用とは何かについて。
ブナをはじめとする森林と人々が暮らす8000年前からの自然と人間の関係史。
人間の生活に不可欠な水をめぐる、自然の力とその恩恵。
生命を全うした植物は一時的に退き、違った形で自然に還元する。
木や植物にもそれぞれ個性や役割があり、足りない部分を補い合いながら生きている。つまり、全てがなくてはならない存在である。
人間はもっと自然から沢山のことを知り、学び、活用すべきだと考えた。
足の裏で感じ取ったふわふわの地面、アイヌの表現で"すべてのものとダンスができる"といわれる風、何千年も涸れていない養分豊富な恵みの水。
ブナ林で感じられたのは、積み重ねられてきたこれまでの歴史、今まさしく流れている時間、受け継がれていくこれからの将来…過去・現在・未来と続く、"時の繋がり"だった。
そして、ゆうとさんの説明と研ぎ澄まされた感覚から吸収できた、見方・捉え方・考え方・学び方・生き方は、人生を歩んでいくための重要な指標となった。
帰りの道中、窓から外を見ていると、Eバイクで島を一周したときと比べて、山々が少し赤みがかっていることに気がつく。つい最近まで夏だったのに、秋がすぐそこまでやってきていた。
自然の変化が、四季の移り変わりを教えてくれた瞬間だった。
車内はゆったりとした音楽だけが響き渡る。
今の自分たちにぴったりな歌詞と車窓から見える奥尻の風景が、無意識のうちに心を落ち着かせる時間を作り出していた。
ここでの音楽が、後々、特別な時間を生み出すことになるとは、当時は思いもしなかった。
夜、ミーティング後に奥尻高校の生徒さんがプレゼンをしにやって来た。
島留学システムを利用して3年間の下宿生活をしながら、奥尻高校、奥尻島の魅力を発信する活動をしているという。名刺を頂戴し、プレゼンが始まる。物怖じせず堂々と話す姿勢、そして、ひたむきに活動に取り組む熱意に心が動かされた。
Okushiri Innovation Division ホームページ
仲間の多くが寝床についた後、来年から社会人になる者同士、外で語り合う。
今の気持ち・考えていることから、あまり人に話したことのない悩みまで…この人になら話せると思い、赤裸々に打ち明ける。会話をする中で得られた考え方は非常に勉強になった。
ただ…蚊に刺されまくっていた。申し訳ない。(笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?